第二百七十五話 回想その3


『上野原高等学校合格発表』


 目的の場所に張り出された文字を見て、結月と梓は緊張しているようだった。


「だ、大丈夫かなぁ? おにーちゃん、怖くて見れないよぉ」


「あ、あの、わたくしも、ちょっとムリ……です」


 もうすでに合格者は発表されている。

 見渡す限り、基本的に暗い顔をしている学生はおらず、だいたいの人間は嬉しそうに笑っていた。


 たぶん、不合格の人は早々に帰宅したのだろう。

 冷静に考えれば普通にそう思うはずだけど、梓と結月は平常心を保てていないようで、こんなネガティブなことを考えていた。


「みんな合格してそうですね……つまりわたくしが一番目の不合格者?」


「ううん、違うよっ。梓だよ……梓が最初の不合格者なんだよっ」


 合格している人しかいないから、自分は不合格になる可能性が高いーーそう思い込んでいるようだった。


「まぁ、うん。そろそろ見に行く?」


 俺としては合格者を確認する準備はできている。

 しかしさっきから遠くで足踏みしているのは、二人が動こうとしてくれないからだった。


「も、もうちょっと時間をちょーだい? まだ不合格になる覚悟はできてないもんっ」


「……幸太郎さんはやけに冷静ですね。そんなに自信があるのですか?」


 別に自信があるわけじゃない。

 そもそも、当時も今も結月の方がはるかに成績が良い。

 しかし俺の方が冷静でいられたのは、たぶん合否に対して執着がなかったからである。


「自信は普通だけど……まぁ、合格しても、不合格でも、別に死ぬわけじゃないからなぁ。なんとかなると思ってる」


 ――こういうところが、二人にとっては共感できなかったのだろう。

 今にして思うと、よく分かる。


 そういえば、この時の梓と結月は俺の言葉に困惑していた。


「……おにーちゃんって、よく分かんないなぁ」


「達観しているというよりは無気力というか……わたくしも、長い付き合いですけど、たまに幸太郎さんが分からなくなります」


 それから、二人は取り繕うように苦笑していた。

 普通の学生なら、合格発表で緊張するのが普通かもしれない。

 でも俺はいつも通りで、淡々としていて……そういうところに人間味がなかったのだと、今は反省している。


『梓と同じ高校に通えないのは寂しいから、一緒に合格していることを願っているよ』


『幼なじみの結月と、高校でも一緒にいられたらいいね』


 そうやって、ちゃんと自分の願いを言葉に出来ていたのなら、あるいは今のような関係性にはなっていなかったのかもしれない。


 要するに、当時の俺は異常なくらいに言葉が少なかったのである。


「えっと、分かりにくくてごめん」


 この時も、すぐに謝って会話を打ち切ってしまった。

 もっと食い下がって、俺の気持ちを説明すれば良かったのに……こういうところが無機質で、良くなかったのである。


「んー、怒ってはないからいいんだけどね?」


「こちらこそ、申し訳ない気持ちにさせたいわけではなかったのですが……」


 おかげで微妙な空気になってしまった。

 梓と結月は困惑しているし、俺は俺で曖昧に微笑んだままで、何もしようとしなかった。


 でも、そういうタイミングのいいところで、彼女が現れてくれた。


「やっほー。こーくんたち、もう合格発表は見たー?」


 声をかけてくれたのは、当時はまだ黒髪で眼鏡をかけていたキラリだった。

 同じ高校に受験していた彼女は、俺達よりも少し遅れて来たらしい。


「あれー? あずちゃんとゆづちゃんは緊張しすぎて変な顔しちゃってるけど、大丈夫?」


 今と比べてギャルっぽさも薄いキラリは、気も利くので梓と結月とも仲が良かった。あまり友人を作るタイプではなかったキラリだけど、俺を介して二人とはよく話していたのである。


「え? まだ怖くて合格発表見てない? じゃあ、あたしが先に行くね~」


 軽やかな足取りで人垣に突っ込んでいったキラリ。

 その時はまだ笑顔だったのだけど……数十秒後、帰ってきたキラリは、真っ青な顔をしていたーー

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