第二百六十九話 やるべきことはやった


 竜崎はうなだれていた。

 伝えた情報がよっぽどショックだったのか、呆然とした面持ちで地面を見つめていた。


「なぁ……中山、一つ聞かせてくれ」


 感情のない、虚ろな言葉が雨の音に混じって響く。

 しほの言葉を借りて言うなら……本当に『嫌』な音だった。


「好きになろうとした人が、他の人を好きだった時、どうすればいい?」


 その問いを、よりにもよって俺にしてきたあたり、竜崎はやはり未完成である。


「……そんなの、俺に聞くなよ。自分で考えてくれ」


 もちろん俺は知っている。

 なぜなら、かつては竜崎と同じ状況に陥ったことがあるから。


 でも、俺が導き出した答えを、こいつに語ったところで意味なんてない。

 生まれながらに主人公で在り続けた竜崎に対して、自己への諦観と失望の果てに俺が辿り着いた結論など、参考にならない。


 結局、竜崎は自分で見つけなければならないのである。

 そうでないと、こいつは理解できないと思う。だから返答せずに、竜崎を突き放したのだ。


「クソっ……結局俺は、お前よりも下なんだな。初恋の人を奪われた挙句、その代わりに好きになろうとした相手は、お前のおさがりだったなんて……っ!」


 酷い言い様だが、否定はせずに聞き流しておく。

 落ち込めばいい。絶望すればいい。傷つき、痛みに喘いで、ボロボロになってこそ、お前はやっと変化することができる。


 そのためなら、容赦なんてしない。

 そう決意したからこそ、俺は竜崎の隣に居続けた。


「……なんだよ、それ。ふざけんなよ」


 そして、何度も語るが、竜崎龍馬はまだまだ『不完全』な主人公である。

 普通の主人公ならしないような行動を取ってしまう、未熟者とも言えるかもしれない。


「バカにすんな!!」


 もう、感情が抑えきれなかったのだろう。

 うまくいかないストレスが爆発したかのように、突然竜崎は怒鳴った。


 獣みたいに大声を出して、俺に歩み寄り、そのまま胸倉を掴み上げてくる。


「見下してんじゃねぇよ」


 そのまま、拳が振りあがる。

 それは紛れもなく、『暴力』の前触れだった。


(……まぁ、誰も見ていない物語の端っこでくらい、好きに振る舞わせてやるのもいいか)


 別に恐怖などない。

 俺は殴られることに対して、たぶん人よりも抵抗感は少ないかもしれない。


 だって俺は、自分に対して優しい人間じゃない。

 いつも蔑ろにして、卑屈になって、自分に失望してばかりいたからこそ、大切にしてこなかった。

 だから、殴られてもいいやと思ってしまったのだ。


(俺を殴ることで、少しでもお前が『完成』に近づくなら)


 それでいいやと、目を閉じる。

 そのまま、来るであろう衝撃に備えていたのだが――しかしそれは、永遠に訪れなかった。


「待って」


 不意に、あるはずのない声が響いた。

 冷たい風雨の音に混じって、その声はとても温かくて、場違いに聞こえる。

 そのせいで、やけに目立っていたのかもしれない。


「――っ」


 竜崎の息を飲む音が聞こえた。

 同じころに目を開けると、竜崎が俺の後方を見て目を丸くしている光景が見えた。


 その瞳には、白銀の少女が映っている。

 遅れて振り向くと……そこにはやっぱり、あの子がいた。


「……別に、出るつもりはなかったのだけれど」


 居心地が悪そうに髪の毛の先っぽをいじりながら、彼女は歩み寄ってくる。


 いったい、いつからそこにいたのだろう?

 それは分からないけれど、こちらの状況はだいたい把握しているかのように、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「でも、幸太郎くんが傷つくのは、許せなかったから」


 小さな声でも、彼女の声はやけに鮮明に聞こえる。

 透明な声は、怒りに満たされた竜崎の心にさえ、届くようだ。


「……いたのかよ」


 バツが悪そうな態度で、竜崎は拳を引いた。

 俺の胸倉からも手を離して、すぐに視線をそらす。


「見るな」


 悲しそうに。

 それでいて悔しそうに、竜崎は呟いた。


「こんな俺を、見るな」


 自分が情けないことは分かっているのだろう。

 惨めな自分を、初恋の相手であるしほに見られることを竜崎は恥じている。


「……最悪だ」


 最後にそう言い捨てて、竜崎はクルリと背を向けた。

 雨が降りしきる中、それでもあいつは歩みを止めなかった。





 こうして、ハーレム主人公は苦難へと追いやられる。

 俺に出来ることは全てやった。果たしてここからどうなるのだろうか。


 ここから覚醒してこそ、主人公らしいと言えるのだが……果たして今後の竜崎が主人公で在り続けられるのか。


 その答えは、ラブコメの神様しか知らない――

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