第二百六十七話 おさがり
幼馴染。
その言葉に対して、竜崎は明らかに動揺していた。
「なんだよ、それ。幼馴染? お前と結月が? そんなそぶり、なかった……結月はずっと、俺の隣にいたっ」
必死に否定しようとしている竜崎は、見ていてとても哀れでもあった。
「中山、嘘だよな? 幼馴染なら、もっと特別な感情を抱いているはずだろっ」
「――お前みたいに、か?」
こいつは相変わらず、思考の視点が自分にしかいない。
主観でしか物事を語れないから、他人の気持ちに鈍感だったのだろう。
最近はそれも少しだけ緩和しているように見えたけれど、まだまだ独りよがりだ。
「幼馴染にだって、色々な関係性があるよ。竜崎みたいに好きでいることはもちろん、しほみたいに苦手意識を覚えていることだってある」
そして、
「俺と結月みたいに……昔は仲が良くても、別々の道を進むことだってあるんだ」
最初からこんな関係だったわけじゃない。
昔はもっと、近い関係にあった。
だけど今はそうじゃないっていうだけの話である。
それだけなのに、どうして竜崎はそんなに動揺しているのか。
「――お前はつまり、結月のことを俺よりも知っているってことか?」
「ああ、そうだよ。少なくとも、お前よりは知っていると思う」
とはいえ、お前が何も知らないと言うのもおかしな話なんだけど。
こんなに近くにいる人を知ろうとしない部分は、未だに自分のことしか考えられない証左である。
「……そうか。そうだったのか……っ!」
そして、竜崎は悔しそうに拳を握った。
歯を食いしばって、攻撃的な視線を向けてきた。
それからこいつは、信じられない言葉を口にした。
「つまり結月は――お前の『おさがり』ってことか?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
人間に対してこんな考えを抱けた竜崎を、理解することができなかった。
「おさがりって……なんで――」
どうしてそんな認識ができるのだろう。
だって、結月は誰の所有物でもない。
幼馴染だからって、彼女と俺は別に特別な関係を築いていない。
ただ、幼い頃に成り行き上、一緒にいただけだ。
お前としほがそうであったように、俺と結月もそうだった。
たったそれだけなのに……どうやら竜崎は、信じられない程の『劣等感』を抱いているようだった。
「結月は俺だけが好きだったんじゃないのか? だから責任を取ろうとしたのに……俺が好きにさせてしまったから、義務を果たそうとしただけなのにっ」
…………ああ、やっぱりそうなんだ。
改めて、理解できた。
竜崎龍馬は、歪んでいる。
生まれながらに物語の主人公であったばかりに、役割や関係性に拘り過ぎている。
そういうところは、俺に似ているかもしれない。
モブキャラだと思い込み、その役割通りにしか動こうとしない俺と一緒だ。
幼馴染という関係性に異常な執着を見せたり。
自分の行動を正当化するために、異常な思い込みをしていたり。
そういう部分が、俺と似ている。
だから俺は、こいつが嫌いなんだ。
鏡に映った自分を見ているようで、むかつくのである。
でも、その度合いが俺よりも強い。
竜崎の歪みは、表面上だけでなく、根っこの部分から生じているのだろう。
「幼馴染なら、普通は好きになるよな? お前と結月はもともとそういう関係で……いや、仮にそうじゃなかったとしても、限りなく恋仲に近い関係だったはずだろ?」
「いや、違うぞ。俺と結月は、あまり近しい関係じゃなかった」
ただ、お互いを知っているだけ。
幼馴染で、たくさんの時間を共有したから、お互いの情報を多く持っているだけだ。
確かに俺は、一時期だけ特別な感情を抱いていたこともあるけれど……だからって、その思いが『好き』だったかと言われたら、違うと言えるかもしれない。
それこそ、幼馴染だから気になっていただけだ。
たったそれだけの関係性であり、しかも彼女の方は俺に一切の関心を抱いていなかった。
その状態で『おさがり』だなんて、ありえない。
いや、仮に付き合っていたとしても、その表現はおかしい。
(こんな奴を……どうやったら、変えられるんだ?)
正面からぶつかって、再度理解した。
竜崎龍馬は、やっぱり何かが間違っている。
でもその間違いが、ご都合主義によって正解となってしまい、歪みを認識できていないのだ。
こんな人間を変えるなんて……無理だと思ったのだ――
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