第二百六十二話 俺が君にしてあげられること


 小さな君を抱きしめていると、昔のことを思い出す。

 梓がまだ、俺に対して『理想の兄』を重ねていた時のことだ。


 彼女はいつも、俺を見つけるたびにくっついてきた。


『おにーちゃん、なでなでしてっ』


 最初、出会った時はびっくりした。

 だって当時、俺と彼女は中学一年生だったのである。


 子供でいるには、少し成長しすぎている。

 それなのに梓は、まるで小学校中学年で時が止まったかのように、幼かった。


 体つきや見た目もそうなのだが……何より、性格が子供そのものだったのだ。


『梓ね、おにーちゃんにくっついてるの、だいすきなのっ』


 人懐っこくて、愛らしいと表現すれば耳心地もいいかもしれない。

 しかしそれは、成長を放棄したことと同義であり、梓にとって実兄の死がどれほど影響の大きいことだったのかが理解できるはずだ。


 梓は小学生の頃に大きくなることをやめた。もちろんそれは肉体的な話ではなく、精神的な話である。



 いなくなってしまった兄が自分を見つけられるように、ずっと幼いままで在り続けた。


 でも今は違う。

 竜崎との失恋を経て、彼女の時間は再び進み始めた。


 中山梓は、幼い少女でいることをやめたのである。

 まだ年相応でもないけれど、いつかこの子も大きくなって、大人びた女性に変わるのだろう。


 その過程で、梓は俺に対して適度に距離を取るようになっていた。


 おかげで、こうやってスキンシップを取ることもほとんどなかったけれど……やっぱり、この子にとって『竜崎龍馬』という存在はとても大きい。


「でも……梓を好きになってもらえるか、分かんない……あんまり自信がないし、怖いなぁ」


 俺の胸元に顔を埋めながら、梓が弱音を吐き出している。

 そんな姿が、結月と重なった。


(――また、何もできないと諦めるのか?)


 幼馴染を救う努力をやめて、今度は家族すら見捨てることしかできないのか。

 今回も俺は、自分のことをモブキャラだと言い訳して、傍観者でいるつもりなのだろうか。


「龍馬さん、結月おねーちゃんのことが好きなんだよね? だったら、そんな時に梓が頑張っても、いいのかな?」


 覚悟は決まっても、行動に迷いが生じている。

 梓はたぶん、自分の歩む道先が崩れていることを察しているのだ。


(確かに……今の竜崎に梓の言葉が届くのか?)


 メアリーさんが言うには、結月に振られてとても不安定な状態らしい。

 だとしたら、梓がなんて言おうと意味がない可能性がある。


(たとえば、竜崎が結月に対して意固地になっていたりしたら……っ)


 振られても諦めない。

 好きになってくれるまで努力する。

 結月が好きな男になる。

 結月を幸せにするのが、俺の義務だ。


 そんな決意があったとすれば、梓の好意はまたしても踏みにじられることになるだろう。


 もうこれ以上、この子には不幸になってほしくない。


 だったら、どうすればいいのか。


(俺が君にしてあげられること――)


 その答えは、一つだけしかない。


(竜崎龍馬に、託すこと)


 俺が大切に思っていた少女たちを、幸せにしてほしい。

 俺にはできないけれど、あいつにならそれができる。


 だって竜崎は、主人公だから。

 それなのにあいつは、いつまでもその覚悟を決めない。


 主人公としての義務を果たさずに、迷ってばかりいる。

 そんなあいつを、いつもなら怨むことしかできなかった。


 だって俺はモブキャラだ。やれることなんて限られている――そう思いこんでいた。


 でも、いつまでも『モブキャラだから』と諦めていては、望む結果など手に入れられない。


 だったら、もう言い訳するのは終わりだ。


(――俺が、竜崎龍馬を変える……っ!)


 自分をキャラクターの役割に当てはめないで……もうそろそろ、自分の意思を示さなければならないだろう。


 それが、今なのだと思ったのだ――

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