第二百五十七話 献身ヒロインの危うさ


 北条結月という少女とは、赤ちゃんの頃から知り合いである。

 一番古い記憶の中ですら、いつも結月の姿があるくらいにずっと一緒にいた。


 ただのご近所さんにしても、俺と結月は関係が深かったのである。

 兄妹、あるいは姉弟のようでさえあった。


 なぜそんな関係だったかといえば、その理由は結月の母親――北条陽子さんにあった。


 あの人はとにかく、面倒見のいい人だった。

 俺の母親が育児に対して興味がないことを知っていたのか、何かあるたびに積極的に子守などをしてくれていたらしい。


 おかげで母は陽子さんに俺を預けて仕事ばかりしていたというわけだ。


 まぁ、育児放棄気味な俺の母のことは、どうでもいいんだが。


 とにかく、陽子さんがお世話好きで、俺のことも自分の子供みたいに愛してくれていた。


 そんな陽子さんの背中を見て育ったせいだろうか。


 幼い頃から結月は他人に対して優しかった。

 いや、優しいなんて表現は生温いかもしれない。


 結月はとにかく、他人に対して『甘い』人間だったのだ。


 何をしても怒らない。何を言われても受け入れる。何が起きても動じない。お願いされたら断らないし、自分からお願いすることは滅多にない。


 いつもニコニコ笑っていて、おっとりしている。

 とてもふわふわした少女なのである。


 そんな彼女を表現するのに最も適した言葉は『献身的』だろう。

 結月はとにかく相手に尽くす。一切の躊躇いなく、自分が損をする選択肢を選ぶ。自らのことを省みず、相手が喜んでくれればそれでいい――もともと、結月はそんな思考を持っている。


 そして、その献身的な行為がより顕著になったのは、陽子さんが亡くなって以降のことだ。


 それまでは、優しい人間だなぁと思っていた程度の献身だったのだが。

 ふと気付いたら、彼女は身近な人間に対して過保護になっていった。


 当時、結月にも最も近しい人間は俺だったわけで……つまりは、俺に対して露骨に甘くなったのである。


 三年前、中学生の時期にはもう母親から見放されていたので、家には俺と梓だけで過ごす時間が多かった。


 その際、掃除や洗濯、料理などの家事をしていたのは、なんと結月だったのである。


 こんな言葉で表現するのは、少しためらいがあるけれど。

 でも、分かりやすくいうと、結月はやっぱり『恋人』みたいだった。


 そんなんだから、俺は『彼女にとって特別な人間である』思っていた。


 しかしそれは、もちろん勘違いだった。


 高校の入学式。竜崎に恋した結月は、急に俺と疎遠になった。

 当時は寂しい気持ちになったが……今なら、どうして彼女が俺から離れたのか、分かる。


 彼女は、他者に必要とされることで、自分の存在意義を確かめるような人間なのだ。


 こういうところは……俺に似ていると思う。

 幼馴染だからなのだろうか。彼女と俺は少し似ている。


 自分に自信がなくて、他者に認めてもらうことを喜びとする部分が、そっくりだ。


 つまり、同じタイプの人間だからこそ、一緒になることはできないのだろう。結月は俺と一緒にいることより、竜崎と一緒にいた方が心地よかったのである。


 竜崎は俺と比較すると、他人に対して気を遣わない。

 結月に対しても遠慮なく甘えるし、頼るし、縋りつく。そういう部分が結月の承認欲求を満たすのだろう。


 でも、それは言い換えてしまうなら『依存』と一緒だ。


 やっぱり彼女は俺と似ている。しほに依存しかけている俺と同様に……いや、俺以上に、結月は竜崎に自分の全てを捧げていた。


 そんな関係性でも上手くいくのなら、問題はなかったのだが。

 しかし、何かの起点をきっかけに、関係性が瓦解すると……結月は一気に、壊れていった。


 自分を犠牲にしてでも、相手に尽くしたいという気持ちは素晴らしいと思う。


 ただ、その相手に裏切られた時……自分一人の力では立てなくなってしまう。


 結月は今、そんな状態の渦中にいる。


 献身的なだけであれば、もっと自分を守れたかもしれないのに。

 自己犠牲的に相手に尽くした結果、無防備になってしまった結果が、今の結月なのだろう。


 その姿に、俺は未来の『中山幸太郎』を重ねてしまった。


(もし俺が、しほに見捨てられたら……)


 きっと、こうなってしまうかもしれない。

 そう考えると、なんだか他人事には思えなかった――

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