第二百五十一話 敗北したサブヒロインが報われるには


 安っぽいコップに注がれたウーロン茶を口に含んでみる。

 粗悪な味が舌を刺激して、喉を蹂躙して、胃を痙攣させた。


 これは本当にお茶なのかな?

 雑巾のしぼり汁と言われても驚かないくらいに酷い味だ。


 でも、悪くない。

 無意味に肥えた舌に冷や水を浴びせるのもたまにはいいだろう。

 そうしないと舌までぶくぶくと太っていきそうだからねぇ。ムチムチになるのはお尻とか胸とかそのあたりだけで十分だ。


「んぐっ、んぐっ」


 一方、隣のアズサはオレンジジュースを美味しそうにゴクゴク飲んでいた。

 かわいらしく喉を鳴らすその姿は、まるで水を一生懸命飲む子猫に見える。

 無条件に愛玩したいと思わせるその愛嬌は、天性の才能だね。


 ムチムチで情欲を掻き立てることに特化したワタシの対となる存在ともいえる。貧相な体つきも、庇護欲をそそる仕草も、人懐っこい笑顔も、全てが妹キャラとして完璧だ。


「リョウマにも、アズサみたいな妹がいれば……また、違う道が選べたのかもしれないねぇ」


 そう呟くと、アズサはピタリと動きを止めた。

 オレンジジュースを飲むのをやめて、彼女はこちらに視線を向ける。


「龍馬おにーちゃん……じゃなかった。龍馬くん、どうかしたの?」


 かつて、本物の兄を重ねた憧れの人に対して、アズサは理想を求めなくなった。


 リョウマは『リョウマ』であり、亡くなってしまったアズサの兄ではない。そのことをコウタロウのおかげで理解した彼女は、大きく成長している。

 まだ油断していると『おにーちゃん』と呼んじゃうクセがあるらしいけど……今は頑張って、リョウマという人間を区別しようとしていた。


 それは言い換えるなら、『歪みがなくなっている』とも言えるわけで。

 見れば見るほど、普通の女の子に戻っていた。


 コウタロウは長い時間をかけて、アズサの傷を癒してあげたのだろう。

 そんな彼女に再び泥を塗る――そう考えただけで、背筋がゾクゾクする。


 古傷をこじ開け、塩を擦りこみ、泥を塗って穢す。

 そうすることでにじみ出る人間の本性を、ワタシはこよなく愛していた。


 そのための工程を、丁寧に進めていくとしよう。


「リョウマはねぇ、ユヅキに告白したけど振られちゃったんだよ」


 まずは古傷を開いてあげる。


「……こくはく」


 ワタシの言葉で、彼女は失恋の痛みを思い出したのんか、少し辛い表情を浮かべた。


 その時だ。


「やっていいことと悪いこと、区別はついているか?」


 今までワタシと義妹に翻弄されっぱなしのモブキャラ君が、急に牙を剥いてきた。


「お前の快楽のために、俺の家族を巻き込むなよ?」


 鋭い。やっぱり彼は、ただのモブキャラではない。

 シホのおかげか、ここぞという場面で異常に嗅覚が鋭くなる。


 でも、ワタシは物語を乱すことに定評があるトリックスター。

 アナタがそうなることも、きちんと想定できていたよ?


 アズサを巻き込むと思いついた時点で、この状況はイメージできていた。

 だてに自称クリエイターを名乗っていたわけじゃない。

 物語の俯瞰という点においては、コウタロウ……アナタよりもワタシが秀でていることを、忘れてはいけないね。


「……いつまでも過保護に守ってばかりかい? アズサはコウタロウの義妹であるけれど、同時に同級生でもあるんだけどねぇ……同い年の家族にいつまでも庇護されているようでは、将来的に自立できるとは到底思えないなぁ」


「っ……それ、は――」


 痛いところをついてあげる。

 彼も薄々気付いていたのかもしれない。

 ワタシの指摘に対して、言葉を詰まらせていた。


 コウタロウの愛は、視点を変えると過保護でしかない。

 血の繋がっている家族も、極論すれば他人だ。


 アズサの人生は、アズサが決定するべきなわけで。

 コウタロウがいつまでも守ってあげられるほど、彼女はもう子供ではない。


「もちろんこれはワタシの趣味ではあるけれど、アズサにとっても知りたい話だろう? かつて好きな人が苦しんでいる。救いの手を待っている。その時、手を差し伸べるかどうか、決める権利があるのはアズサだ」


 そしてこれは、ワタシだけにメリットのある話ではない。

 アズサの人生にとっても、大切な分岐となる選択肢だ。


「振られたアズサには辛い話かもしれない。でも、考えてごらん……これは『可能性』でもあるんだよ? アズサの報われなかった思いが、今であれば叶うかもしれない。諦めたその情熱を再び燃やすことだってできる。ワタシはその選択肢を、提示したいだけだ」


 失恋の古傷をこじ開け、過去の失敗という塩を擦りこみ、その上から新しい可能性という泥をぶっかけてやった。


 その結果――アズサは、途端に表情から色を消した。


「かのうせい……」


 まるで、依存していた麻薬の快楽を、ふと思い出したように。


 ……我ながら、よくもまぁこんなに舌が回るものだよ。


 たった数分の会話で、長い年月をかけて安定させたサブヒロインちゃんが、一気に不安定となった。


 その反動を利用して、幸せになるのか。

 あるいは反動に耐え切れずに、壊れるのか。


 ここから先は、アズサ次第かな?

 何もしなければ普通の女の子として、普通の幸せを手に入れたかもしれないけれど。


 でも、ワタシが思うに……それではアズサのラブコメが報われないからねぇ。

 コウタロウ、アナタは過保護すぎるよ。

 普通という幸福なんて、アズサは求めていない。


 だから、普通じゃない幸せの可能性を提示させてもらったよ?





 ……まぁ、そんなの全て建前だけれど。





(にひひっ♪ これで面白くなってくるっ)


 本音はもちろん、ワタシの快楽が全ての理由に過ぎない。

 我ながら、ワタシは本当に性格が悪いと思うよ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る