第二百四十二話(プロローグ) 手遅れだったハーレム主人公様の独白


 どうして俺は、気付いてあげられなかったのだろう?


 結月がどんな思いで俺を好きでいてくれたのか……そんなこと、今まで考えたことすらなかった。


 ――泣いていた。


 結月は、悔しそうに大粒の涙を浮かべていた。

 彼女に告白して、早一ヵ月が経過しているというのに……未だに俺は、あの場面を昨日の出来事のように覚えている。


 彼女の表情はもちろん、セリフ、息遣いも、全てを鮮明に記憶していた。


『ごめんなさい』


 付き合ってくださいと告白した直後のことだ。

 彼女は深々と頭を下げて、俺の気持ちを拒絶した。


 もちろん、最初は混乱した。

 結月なら俺の気持ちを受け取ってくれるはずだと、過信していたのだ。


『なんで――』


 すぐに理由を問いかけようとして……しかし、顔を上げた彼女の目に涙が浮かんでいるのが見えて、言葉が出なくなった。


 初めてだった。

 結月が……いや、俺の目の前で女の子が泣いているのを見るのは、初めてだった。


 だから、なんて声をかけていいか、分からなかったのだ。


『ごめんなさい。わたくしには……やっぱり、無理でした』


 うなだれるように視線を伏せて、結月は元気のない声で語る。


『ありのままの龍馬さんが好きでした。いつも笑っていて、鈍感だけど、優しいあなたを愛していました。たとえ自信を失っても、卑屈になっても、それでもあなたは龍馬さんだったから……愛することができました』


 俺が否定したかつての俺を、結月は愛してくれていた。

 でも、今の俺はもう昔とは違う。


『今の龍馬さんは、違うんです。わたくしの愛した龍馬さんはもういないんです……だって、わたくしの好きなあなたなら、告白なんてしない』


 変わった俺を、結月は否定していた。

 だから彼女には、受け入れられないみたいだ。


『変わったあなたなんて見たくなかった。わたくしでは、何をしても変えられなかったあなたを、ようやくありのままに愛せるようになったのに……どうして今更、変わってしまったのですか』


 それはもしかしたら、『諦観』の果てに割り切った思いだったのかもしれない。

 結月だって、かつての俺が歪だったことには気付いていたのだろう。

 だけど、彼女が何をしようと俺は変わらなかった。


 だから結月は、ありのままの俺を愛することにして……だというのに俺が簡単に変わってしまったから、それが許せないのだ。


『ずっとずっと、尽くしてきました。わたくしの思いを全て捧げてきました。どんなに理不尽な扱いを受けても、思いを踏みにじられても、耐えてきました。それなのに……ただ『幼馴染』というだけで好きになった女の子の一言で変わってしまうなんて、そんなの酷いです』


 ――幼馴染。

 結月の唇から紡がれた言葉が、心に突き刺さる。

 どうして結月が、あの子とのやり取りを知っている?


(そういえば、霜月とやり取りをした直後から、結月が俺の家に来なくなった)


 ふと、あの時に感じた違和感を思い出す。

 霜月のことで頭がいっぱいだったから、結月のことなんてすぐに忘れてしまったが……よくよく考えると、あの時期から彼女は異変を見せていた。


 それは要するに、こういうことだったのだ。


『あんな場面、見たくありませんでしたっ。霜月しほさんと会話している時の龍馬さんなんて、知りたくなかったです……わたくしがどんなに話しかけても、あなたはあんなに笑いませんでした。わたくしがどんなに尽くしても、あなたはまったく喜んでくれませんでした』


 見られていた。

 霜月とのやり取りを、結月は偶然見てしまったのだ。


『挙句の果てには、たかが幼馴染の一言で龍馬さんは自分を捻じ曲げてしまいました。わたくしがどんなに尽くしても変わらなかったくせに、霜月しほさんの一言なら簡単に受け入れて……わたくしだって、本当は龍馬さんに変わってほしかったっ。だけど、我慢して、耐えて、無理をして受け入れたんですよ? だから……割り切れるわけ、ないんです』


『ち、ちがっ――』


 違うと言おうとして、しかしそれはできなくて。

 なぜなら、結月の言葉は正しかった。


 俺は、霜月しほという幼馴染の一言で、自分を捻じ曲げたのだから。


『二番目でもいい。一番になれなくてもいい。龍馬さんの隣にいられたら、それだけで幸せ――そう思い込んでいましたけど、もう無理です。わたくしの好きなあなたは、もういないのですから』


 ……もしかしたら俺は、甘えていたのかもしれない。

 結月の優しさや愛情にあぐらをかいていたのかもしれない。


 だから、彼女なら受け入れてくれると思い込んで……北条結月という少女を、蔑ろにしてしまったのだ。


 そしてとうとう、彼女の我慢が限界を超えたというわけなのだ。


『――消去法で、選ばれたくありませんでした。幼馴染の霜月しほさんが好きだったのは、分かっています。その恋が叶わなかったから、仕方なく手頃な女の子を選んだのでしょう? わたくしなら、龍馬さんを無条件に受け入れてくれると、そう思っていたのですよね?』


 図星だった。

 一字一句違わず、結月の言う通りだった。


 だから反論なんて、できなかった。


『甘く見ないでください。わたくしだって、一人の女の子なんです……もうちょっと、真摯に向き合ってほしかったです』


 そう伝えて、結月は再び頭を下げた。


『ごめんなさい』


 それから、こちらを振り返ることなく、足早に去っていく。


『――――』


 後には、立ちすくむ俺と、地面の落ちた紙袋だけが残っていた。

 結月が持ってきた紙袋の中には、手作りのクリスマスケーキが入っていた。

 いつの間に落ちたのだろう?

 落下した衝撃でぐちゃぐちゃになったケーキを見て、俺は玄関に崩れ落ちてしまう。


『もう……遅かったんだ』


 その時に、気付いた。

 俺のラブコメは、もう取り返しのつかないことになっていることを、理解した。


 しほのおかげで覚醒できて、今まで見えなかった部分が色々と見えるようになって……だからこそ、現状の歪さをより痛感した。


『俺が、結月を歪めてしまった』


 純粋な少女の愛が捻じ曲がったのは、俺が不甲斐ないせいだ。

 俺が鈍感だったから、結月は自分を歪めてまで俺を愛そうとしてくれた。


 その結果が、この顛末なのである。


 これが、ハーレム主人公の罪なのだろう。


 そして俺は今から、その罪を償わないといけない。

 これから、自分の全てを捧げてでも……俺が歪めてしまった少女を、幸せにしないといけない。


 それは分かっている。

 でも、その手段が、俺には分からない。


「くそっ……」


 結月の告白からもう一ヵ月が経過している。

 それでも俺はまだ、前に進めずにいた。


 ……もう、俺のラブコメはどうしようもないのだろうか?

 果たして何をすれば、結月を幸せにしてあげられるのか?


 それが俺には、まったく分からなかった――



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