第二百三十八話 胡桃沢くるりの『痕跡』
クリスマスは、しほの家でパーティーをした。
霜月夫妻もお祝いしてくれたし、食事も美味しかったし、しほとすごせて楽しかったし、素晴らしい一日だったと思う。
なんというか……ようやく『元通りになったなぁ』と思った。
しほとの関係が修復されたことで、俺たちのラブコメは再び平穏を取り戻したのだ。
「ただいま」
クリスマスパーティーを終えて、家に到着したのはもう21時を回っていた。
リビングに顔を出すと、やっぱり彼女がゴロゴロしていた。
「……あ、おかえりー」
おかっぱ頭の童女が、だらしない恰好でテレビを見ている。
ゆるみきった猫みたいにソファの上で伸びている義妹を見て、思わず笑ってしまった。
「おへそ見えてるぞ」
シャツの裾がめくれてかわいいおへそが見えていた。はしたないので指摘してあげたのだが、彼女は直そうともせずにテレビを見続けている。
「別に見てもいいよ? おにーちゃんに見られたところで何も思わないし」
「そういう問題じゃないけどな」
家族だから気を許してるだけならいいんだけど。
「ねぇ、パーティーどうだった? 霜月さんのお母さん、お料理上手なんでしょ? やっぱり美味しかった?」
梓はそう言って、スマホの画面を俺に見せてきた。
そこには先程食べた料理の写真が写っている。しほが撮って梓に送ったのだろう。
「うん、美味しかったよ」
「ふーん。いいなぁ……」
「梓も来て良かったんだぞ? さつきさん、会いたいって言ってたのに」
「ぐぬぅ……でもね、もし行っちゃったら、霜月さんをおねーちゃんって認めないといけない気がして、なんかイヤだもんっ」
一応、梓もクリスマスパーティーには誘っていた。
しかし彼女が断ったので、一緒に行くことはできなかった。
しほの母親であるさつきさんが梓と会いたがっていたけれど、二人が対面するのはもうちょっと先になるだろう。
「ごはんは食べたか?」
「うん。さっきお菓子食べたー」
「それはごはんと言わないけどな」
「うるさいおにーちゃんのばーか」
最近、梓は反抗期なのか、俺に対して口が悪くなっているような気がする。
舐められているというか……いや、本格的に家族として認識されているから、軽口をたたいてくるのだろう。うん、良いように考えておくことにした。
「おにーちゃん、クリスマスプレゼントはゲームの課金カードがいい。SSRのキャラで霜月さんにマウントとりたいからっ」
「……ちなみに、梓は俺に何をプレゼントしてくれるんだ?」
「えー? 梓もあげるの? めんどくさいなぁ……じゃあ『かたたたき券』でいい?」
最近、義妹がどんどんダメ人間になっている気がする。
竜崎と疎遠になってから引きこもるようになって、ちょうどその時期からしほと仲良くなって、それ以降から一気に下降線を辿っている。
たぶん、ダメ人間のしほに悪い影響を受けているのだろう。
あの子の影響で梓もゲームばかりするようになったんだよなぁ……悪いことではないのだけど、もうちょっとこう、勉強とかもがんばってほしいと思った。
「おにーちゃん、お風呂わかしてー。あ、洗濯物もたまってたよー」
「はいはい、ちゃんとやっておくから。梓もお風呂に入る準備をするんだぞ?」
「準備? お洋服脱いで待っておけってこと?」
「着替えとか、タオルとか……いや、いいや。俺が全部やるよ」
しほのせいですっかりダメ人間になりつつある梓は、もちろん家事もやらない。しっかりと説教したほうがいいと分かっているのだが、なんだかんだそんな義妹をかわいいと思ってしまうので、なかなか強い態度を取れなかった。
「まったく……」
苦笑しながら、ひとまず荷物を置きに部屋に戻る。
――もうすっかり、いつもの日常に戻っていた。
山もなく、谷もない、平坦なラブコメが一定のリズムで刻まれていく。
まるで、何事もなかったかのように……。
胡桃沢さんとの一件なんて何もなかったように、日常が進んでいく。
だから、油断すると彼女のことを忘れそうになってしまうのだ。
それが少し、怖いと感じる。
彼女と過ごした時間は、果たして無意味だったのだろうか。
覚える意味がないほどに無価値だったとは、思いたくない。
あんなに悩み、苦しみ、傷ついた少女を踏み台にして、忘れて、そうして掴んだ幸せに……意味はあるのだろうか?
綺麗事なのは分かっている。
だけど、俺だけは忘れたくない。
なぜなら、俺もまた彼女と同じ『存在』だからだ。
物語の奴隷としていいように使い捨てになった少女を、きちんと覚えておきたい。
可能であるならば、彼女の幸せを見届けたい。
だから覚えておきたいのに……油断すると忘れそうになるから、怖かった。
彼女が俺に与えた影響が、すっかりなくなっている。
心の傷も癒えて、罪悪感の檻も壊れて、すっかり彼女は蚊帳の外になってしまっていた。
こうやって、胡桃沢さんのことを忘れてしまうのだろうか。
それは少し嫌だなぁ……と、心に引っ掛かりを覚える。
(胡桃沢さんが俺に残してくれたものは、なんだろう?)
だから、必死に探した。
彼女が俺に残した『痕跡』を考えて……ふと、思いついたものがあった。
「そうだ……テストだ」
思い立ち、カバンを開ける。
そして、終業式間際に返却されたテストの採点結果を、もう一度確認した。
中間テストということで、テストを受けた教科は基本科目の五教科のみである。
そして、そのどれもが85点を上回っていた。
前回までは平均点が60点くらいだったのに……短期間で大きく成長していたのだ。
それは間違いなく、彼女の影響だろう。
(胡桃沢さんが教えてくれたから、こんなにいい点数が取れたんだ……)
もう一度、彼女のことを改めて心に刻む。
(いつか……彼女に、感謝することになるんだろうなぁ)
きっと、彼女から教えてもらったことは、将来にも役立つだろう。
それをきちんと覚えておけば……彼女のことだって、忘れないはずだ。
胡桃沢さんは確かに『存在』していた。
そのことを、俺は絶対に忘れない――
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