第二百三十四話 竜頭蛇尾
「じゃあ、そういうことだから」
そう言って、胡桃沢さんは優しく微笑んだ。
言いたいことは全て伝え終わったのだろう。満足そうに、それでいて寂しそうな感情が、その微笑みにはにじみ出ている。
「もうちょっと、ドキドキしたりワクワクしたり……そういう展開があっても良かったけど、残念だなぁ」
「…………」
「あ、こういうこと言われても困るよね。ごめんなさい、中山に不満があるわけじゃないのよ。ただ……あなたを大好きだったあの時間が、もう少しだけ続いていればいいなって、思っただけだから」
彼女はゆっくりと歩き出す。
数メートルあった距離が次第に狭まってくる。
そして彼女は――俺の横を、通り過ぎていった。
まるで、もう未練がないことを印象付けるように。
ただ、顔が見えなくなった位置で、胡桃沢さんはふと足を止めた。
「……だけど、これだけは言わせて」
こちらを見ないまま、彼女はこんなことを教えてくれた。
「中山を好きでいた時間は、とても楽しかった。『大好き』という気持ちがたとえ偽物だったとしても、あの時に感じた『楽しい』という感情は本物だったと思う」
今までの出来事全てが『偽物』というわけではない。
ちゃんと『本物』もあったのだと、彼女は訴えていた。
「だから、ありがとう」
最後に感謝の言葉を述べて、胡桃沢さんは再び歩みを進める。
そんな彼女に――俺はこう言うことしか、できなかった。
「……君の幸せを、願っている」
俺が胡桃沢さんを幸せにすることはできないけれど。
それでもやっぱり、彼女が笑顔でいられることを、望んでいた。
たとえこれが、綺麗事だったとしても。
それだけはどうしても、伝えたかった。
「……ありがとう」
その言葉に、彼女は何を思ったのだろう?
顔が見えないので、分からない。もう既に数メートル遠くにいるから、その声ですらようやく聞き取れる程度に小さくなっている。
しかし、俺の勘違いでなければ……その声は、微かに震えていたような気がした。
もしかして、泣いているのだろうか?
それが気になったけど、確認する前に――彼女は、屋上から出て行ってしまう。
まるで、俺に罪悪感を抱かせないように。
そういえば、彼女は……最後まで表情が穏やかなまま、変化しなかった。
それがまた無理をしているように見えて、痛々しく見えたのである。
何はともあれ――こうして、俺と胡桃沢さんのラブコメは幕を閉じた。
「……これで、終わりか?」
あまりにも呆気ない幕切れに戸惑ってしまう。
もっと、劇的な何かがあると思っていた。前半であんなに間延びさせたのだから、もっとドラマチックな展開になると思っていた。
だけど、あっさりとした形で舞台が暗転したのである。
まさしく『竜頭蛇尾』である。
駄作の象徴とも呼べるようなストーリーの展開に、思わずうなだれてしまった。
「結局、今回も振り回されただけかよ」
唇をかみしめて、拳を握る。
何もできなかった自分に苛立って、怒りがこみあげてくる。
だけど、それも一瞬のことだ。
「――――っ」
ふっと力が抜けて、俺は息を吐き出した。
「ここで怒って奮起できるようなキャラクターなら……主人公に、なれたかもしれないのに」
今更、怒ったところで仕方ない。
だから俺も、ゆっくりと屋上から出ていくことにした。
結果から考えると――これで、俺としほの関係性は元に戻ったのである。
第三部で不幸になったのは、胡桃沢さんだけだ。その他の登場人物は大して何も変化なく、あっさりと物語が進んでいった。
結局、今回は『竜崎龍馬が覚醒した』というだけのお話だったのだろう。
……いや、果たして本当にそうなのだろうか。
俺の知らないページで、俺が知らない内に、何か変化があった可能性も否めない。
それは分かっているけれど、その変化を理解するには、俺のキャラクター性が弱すぎる。
モブキャラなんだから、知らなくても物語は勝手に進んでいく。
だから俺は、いつも通り……何もせずに、流れに身を任せるのだった。
(覚醒したんだったら、なんとかしろよ……)
こんなこと、思いたくない。
だけど、やっぱり俺は、こう願わざるを得なかった。
「竜崎……お前にしか幸せにできないヒロインが、たくさんいるぞ」
お前がもし、本当の『主人公様』であるならば。
なんとかしてみせろ。俺には出来なかった『幸せ』を、彼女たちに与えてくれ。
そうしないと、報われない。
梓も、キラリも、結月も、メアリーさんも、胡桃沢さんも……誰も幸せにならないまま、ラブコメが終わるなんて。
それはあまりにも、後味が悪すぎるのだから――
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