第二百三十二話 君を幸せにできる人
ふと、無力感を覚える。
どんなに足掻こうと、努力しようと、決して手が届かない場所に存在する彼女を、俺は眺めることしかできない。
最初から結果は確定していた。
胡桃沢くるりというキャラクターは、敗北から逃れられない。
そんな彼女のために、俺がしてあげられることは――何もなかった。
「あはは……私はね、誰よりも『特別な人』になりたかったの」
諦めたように力のない笑顔を浮かべながら、彼女は空を見上げる。
真っ暗になった夜空には分厚い雲が広がっていて、月を見ることはできない。
お世辞にも綺麗とは言い難い夜空をジッと見つめているのは、どこか不自然で……まるで、涙を我慢しているかのようにも、見えてしまった。
「この髪の毛の色も、変でしょ? ピンクなんて奇抜だし、目立つのは知ってるのよ。でもね、この色のおかげで私は周囲の人間よりも『特別』でいられた。胡桃沢くるりは普通じゃないと、周囲に思ってほしかった」
語られたのは、胡桃沢くるりというキャラクターの全容である。
彼女の存在理由が、ようやく説明されたのだ。
「自分で言うのもなんだけど、私は恵まれている人間だった。裕福な家庭に生まれて、人並み以上の容姿を持って、優れた才能を授かった……でも、そんなに恵まれていながら、私は『その他大勢』の一人でしかないわ」
ステータス的な能力値は優れている。
しかし彼女は、それでもなお自分のことを『平凡』だと称していた。
「だって、私の人生には何もなかった。わくわくするような事件も、心躍るような出会いも、信じられないようなイベントも……何もないまま、高校一年生になった。そんな自分が、イヤだった」
だから彼女は、特別になろうと努力をしたらしい。
「転校したのも『何かを変えたい』という願望があったからなのよ……髪の毛の色も奇抜にして、中途半端な時期に転校して、そうやって普通じゃないことをして、自分を特別に仕立て上げた」
そんな時に、俺と彼女は出会ったのである。
「中山は……うまく説明できないけれど、不思議な何かを持っているように見えて、惹かれたわ。なんとなく気になって、なんとなく魅力的に見えて、なんとなく好きになった。特別な何かを持つあなたと結ばれたら、私は胸を張って『特別』だと言えると思った」
そんなことはないと思う。
俺は特別な人間なんかじゃない。
でも、彼女にはそう見えたようだ。
だから胡桃沢さんは、俺を好きになってしまったようだ。
「だけど、ある人に言われたわ。理由のない『好き』という感情はただの『偽物』でしかない――と。それを言われて、私は中山が好きになった理由を考えた。でも、それが思い浮かばなかった」
「そう、なのか……」
「うん。結局、私は『特別』に憧れていただけで、中山のことは大して好きじゃなかったのよ。だからその直後に、竜崎と運命的な出会いをして、彼のことを好きになってしまったの。だって、彼の方が『特別』だったから」
言われてみると、確かに筋道はあっているような気がする。
だけど、胡桃沢さん自身は、納得しているような表情をしていなかった。
「――本当に、そうだったと思う?」
今の彼女は、自分のことがよく分からなくなっているのかもしれない。
だから長々と語って、論理を確かめて、合理的な理由を口にした。
だが、感情的な部分で、納得が出来ていないようだ。
「私は、本当に中山のこと、好きじゃなかったのかなぁ……あの時は、本当に好きだったのにね。だからこそ、分からないわ。竜崎と出会って、いきなり自分が自分じゃなくなったみたいに、おかしくなったの」
ああ、そうだろうな。
俺はその原因を、知っている。
だけどそれは、口にできない。
だって、言ったところで、胡桃沢さんにはどうすることもできないからだ。
なぜなら彼女は、ただのサブヒロイン。
単なる物語の奴隷である。
故に、彼女は理由を知る必要がない。
知ったところで、傷つくだけなのだから……知らないままでいた方が、幸せだと思う。
だから俺は、心の中で呟くことしかできなかった。
(胡桃沢さんは、竜崎のラブコメに『選ばれた』んだよ)
君は残念ながら、あいつのハーレムラブコメに巻き込まれている。
そのせいで君は、あいつの物語の都合にいいように心変わりしている。
それがとても、可哀想で……だけど何もしてあげられないことに、虚無感を覚えた。
(俺がどんなに手を尽くしても、胡桃沢さんの心を晴らすことはできない)
だって彼女は、竜崎龍馬の毒に侵されている。
主人公様の異常な性質のせいで、恋心が捻じ曲げられている。
つまり俺には、何もできない。
されども、何かできたところで……結果的には何もできないのだから、同じではある。
(どうせ俺は、しほだけしか愛せないから……彼女を助けることは、どっちみち無理だった)
自覚はしている。
だけど、目の前で苦しむ少女があまりにも痛々しくて、同情せずにはいられなかった。
もう何度も、こうなってしまった少女を見てきたけれど、未だに慣れない。
梓も、キラリも、結月も、メアリーさんも、みんな苦しんでいた。
そして今度は、胡桃沢さんもその一員になってしまった。
今回の物語は、そういうストーリーだったのだろう。
胡桃沢くるりというサブヒロインの役目が果たされて、彼女は筋道通りに捻じ曲げられたのだ。
(胡桃沢さんを幸せにできる人は――もう、竜崎だけだ)
そこは、モブキャラには手の出しようのない領域。
あいつのラブコメが完成しなければ、胡桃沢くるりというサブヒロインは、報われない。
これにて、胡桃沢くるりというキャラクターは消費された。
役目を終えて、彼女は舞台から降りることになったのだ。
今回の俺は、あいつの物語の全容を見ることはできなかった。
だからところどころは穴埋めになるが、あらすじをまとめてみると、こんな感じになるだろう。
まず初めに、竜崎は腐れた。自分をモブキャラだと思い込み、落ちぶれた。
結月に甘やかされ、回復することもなく、竜崎龍馬は地の底まで蹴落とされた。
しかし何かがあって、あいつは復活した。
いや、復活どころか、竜崎は覚醒した。
そして覚醒した主人公様は、モブキャラを愛していたサブヒロインの恋心を奪い取ったのだ。
要するに、胡桃沢さんは竜崎の凄さを測るために配置されていたのだろう。
モブキャラを愛していたサブヒロインを心変わりさせるほど、主人公様は凄くなりました――その説得力を生むためだけに、彼女は全てを捻じ曲げられた。
なんて報われないキャラクターなのだろうか。
それを考えると……やっぱり、可哀想で仕方なかった――
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