第二百二十八話 アナタの物語の結末をワタシは楽しみに読んでるよ


 ――不意に、体から力が抜けた。


「なんなんだよ、いったい……あんなに、過去のトラウマとして、俺を苦しめていたくせにっ」


 たった数分のやり取り。

 しかしそのたった一場面で、俺は母に対する感情を全て失った。


 かつては、あんな人間でも親だと思っていた。

 だから言うことを聞かなければならない――と、そう自分で思い込んでいた。


 でも、今は母のことなんて、どうでもいいとすら思っている。


「あんな人間を、しほよりも優先する意味なんてなかったのに」


 後悔が次々と溢れてくる。

 そもそも、今こんな状態になっているのは、母と俺の確執がその一因としてあった。


 俺はかつてこう言った。


『将来、生まれ来る子供に愛されたい。でも、自分が親を愛していなかったら、子供に「俺を愛してほしい」なんて胸を張って言えない。だからどんな扱いを受けても、親を大切にする』


 その言葉のせいで、母の命令を拒絶できなかった。


 胡桃沢とのコネを繋げ――それを否定できず、散々利用されて、しほを傷つけ、胡桃沢さんを悩ませた結果が、今なのだ。


 こんなに母のことを大切にしようとしていたのだ。

 そこにはもっと、頑固な信念があるべきなのに――たった一場面で、その信条が粉々に砕け散ったのである。


 俺を縛っていた過去の鎖は、よくよく見ると錆びだらけだった。


 つまりは、そういうことだったのだろう。


「何を不思議そうにしているのかな? コウタロウなんて所詮はその程度だよ? ワタシと同じ『サブキャラクター』に過ぎないからね」


 一方、メアリーさんは悪態をつく俺を見て意地悪な笑みを浮かべていた。


「コウタロウなんて、所詮は物語の舞台装置にすぎないんだよ。だから信念なんて適当に都合を合わせられて砕けるし、物語のいいように思考が書き換えられる。何も珍しいことはなかった。今回もそうだっただけだよ」


 嫌らしいほどにメタ的な視線で、彼女は俺にご高説を垂れていた。


「ただし、今回のコウタロウは勘違いをして、自分が主人公になれたと思い込んでいた――もちろん、そんなことはないと否定しておくよ。だってこの物語のメインキャラクターは、なんだかんだでリョウマとシホの二人だけだからね」


「……そんなこと、分かってる」


 言われなくたって、嫌と言うほど思い知らされた。


 俺は所詮『モブキャラ』だった。

 そのことを、今回の物語で理解させられた気がした。


「分かっているのなら、もうワタシから言うことはないね。ふぅ……これで役目は終わったかな? やれやれ、チートキャラなんて便利屋さんは、いいように使われて、出番が終わったらまた空気になるんだから、割に合わないよ」


 ニヤニヤと笑いながら、メアリーさんは不意に肩を組んできた。

 引き剥がそうとしたが、彼女が力を入れるせいで、身動きが取れない。


 身体能力も俺よりはるかに上なのだろう。

 そんな彼女は、まるで俺を親友とでも思っているかのように、親しい表情を向けてくる。


「だけど、コウタロウの物語はずっと見ているよ。ワタシはこの結末に興味がある……願わくば、きちんとした終わりがあることを、願っているさ」


「……終わりがあることを願う? そんなの、当たり前だろ」


「――当たり前じゃないよ。よく考えてごらん? この世界ではね、実は終わっていない物語の方が多数派なんだよ。物語の数は星の数ほどあるけれど、完結した作品はその一部分。もちろんそれも膨大だけど、それを上回る未完の物語で、この世界は溢れている」


 ……なんとなく、分かる。

 今のメアリーさんの発言は、いつもみたいに上辺だけの言葉じゃない。

 本心からの、言葉だった。


「作者の身に怪我、病気、事故が起きた。商業作品の売り上げが悪かった。やる気がなくなった。続きが思い浮かばなくなった――などなど。その状態で永遠に時間の止まった物語を、世間では『打ち切り』と言うんだよ?」


「…………つまり、俺の物語が打ち切られると?」


「そうならないことを願ってるんだよ」


 またそうやって、無責任にほのめかすようなことを言う。

 不穏なことを言って不安を煽るのは、本当にやめてほしい。


 しかも最悪なのは、今の言葉を本心から言っていることだ。

 そんなことありえないと一笑するには、少し言葉が重すぎるのだ。


「ワタシと同じサブキャラクターの分際で、メインヒロインに見初められたモブキャラ君が、いったいどういう物語を経て、ラブコメを完成させるのか――どうかそれを、見届けさせてくれ」


 と、そこまで言って、彼女はようやく離れてくれた。


「じゃあ、そういうことだから……また次にワタシの役割があったら、その時に会おう。バイバイ」


 俺の言葉なんて求めていなかったのだろう。

 言いたいことを言って、彼女は歩き去っていく。


 そんな彼女の背中を見送る前に、俺はため息を吐いて目を閉じていた。


「……本当に、どうなるんだろうな」


 別に不安になっているわけじゃないけれど。

 しかし、俺自身も、しほとの恋の結末は気になる。


 もちろん幸せであることを信じている。

 でも、今の俺が果たして幸せを手に入れられるのかどうか……その自信は、ちょっと足りないかもしれない――

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