第二百二十話 傷つけられる覚悟

 ――どうして彼を好きになったんだろう?


 胡桃沢くるりは考える。


「    」


 しかし、生まれたのは『空白』だった。


 霜月しほに理由を問われて、すぐに答えようとしたが、結局何も出てくることはなく。


「……ほら、所詮はその程度なのよ。理由も分からないくせに人を好きになるなんて、ただのおままごとでしかないわ」


 嘲笑と一緒にぶつけられたその言葉に、しかし胡桃沢くるりは何も言い返すことができなかった。


(私はどうして、中山を好きになったんだっけ?)


 必死に、記憶をかきまわす。

 過去の自分の感情を探り、質問に対する回答を求める。


 だが、何も出てこない。


(中山を好きになった理由って、何?)


 胡桃沢くるりは、中山幸太郎に対する感情を見失っていた。


 ……いや、その表現は的確ではないのかもしれない。

 見失ったのではない。その感情は、最初から『なかった』のである。


(確か、転校した直後に、中山を見てから……なんとなく、気になって――)


 思い返してみると、最初からずっと感情があやふやだった。

 なんとなく気になって、なんとなく仲良くなりたくなって、なんとなく『好き』になった。


 全部『なんとなく』から始まった恋であり、そこに明確な理由を見出すことができなかったのである。


(中山は、素敵な人間なのは知ってる……)


 彼の魅力は分かる。

 とにかく穏やかで、人あたりが柔らかく、隣にいてまったく緊張しない。まるで親しい家族と一緒にいるときのような温かさのある人間だった。


 そのくせ、たまに陰のある表情を浮かべるところがあって、そこがまた心に引っかかるような……そんな、不思議な魅力を持つ少年なのである。


 だが、それらは全て後付けの感想に過ぎない。

 霜月しほが知りたがっているのは、彼を好きになった『きっかけ』である。


 それがないから、胡桃沢くるりは口を閉ざすことしかできなかったのだ。


「人によっては『誰かを好きになるのに理由は要らない』なんて、言うかもしれないわ。でも私はそう思わないの」


 霜月しほは、好きという感情に本物と偽物があることを知っている。


 なぜなら、彼女の幼馴染である主人公様によって毒された少女が、偽りの愛を抱き、苦しんでいるところを見たことがあるからだ。


 まぁ、時折その偽物が本物に代わるパターンも例外的にあるが……しかし今回、胡桃沢くるりはそのパターンに当てはまらなかった。


「なんとなくで彼を好きになって、なんとなくでその恋を終わらせて……結局あなたは大して傷つくこともないなんて、卑怯だわ」


「で、でも……告白して、仮に振られるとしても、傷つくのはあたしだけでしょ? それの何が問題なのよっ」


「――そんなわけないじゃない」


 告白して、振られる人間だけが傷つく――そんな軽い感情で、彼は『好き』という思いと向き合ってなんていない。


「幸太郎くんは優しい男の子だから、あなたの思いに対して真剣に受け止めていたわ。悩んで、苦しんで、それでもちゃんと向き合っていた。だから、たとえ断るだけだとしても、何も思わないわけないじゃない」


 中山幸太郎は、軽々しい人間ではない。

 霜月しほは、そのことをよく知っている。


 彼のそういうところを、しほは好きになったのだから。


「あなたの告白を断ることですら、幸太郎くんは傷ついてしまうのよ? 仕方ないことなのに、あなたに対して『ごめんなさい』って思ってしまうんだから」


 傷つき、傷つけられる行為が『恋愛』だ。

 故に、生半可な気持ちで手を出してはいけない領域だと、しほは考えている。


 少なくとも、偽りの感情で軽々しく告白なんて、してほしくない。


 だって、振られたくるりは大して傷つかないくせに、振った中山幸太郎の方が傷ついてしまうのだ。


 そんなの、許せるはずがなかった――



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