第二百十九話 人を好きになるのに『許可』は不要で『理由』は必要

 結局のところ、しほが怒っている理由はこれなのだ。


「あなたは、自分の気持ちと向き合うことから逃げたのでしょう?」


 好きだったはずの人とは違う人を好きになって、胡桃沢くるりは混乱していただろう。

 自分の感情に戸惑い、迷い、どうしていいか分からなくなって……挙句の果てには逃げ出してしまったのだ。


「幸太郎くんへの思いを、手っ取り早く処理しようとした」


 二人を好きになるということに、胡桃沢くるりは耐え切れなかった。

 なんだかんだ、彼女はただの一般人なのだ……たとえば、どこぞのハーレム主人公様のように、複数人を愛するという不遜な行為は、凡人にはできないのである。


 これは別に、胡桃沢くるりがおかしいわけではない。

 ただ、彼女がこのラブコメの舞台に上がるには、あまりにも普通過ぎたと言うだけの話である。


「幸太郎くんへの思いを振り払うために……告白して、わざと振られようとした。そして、竜崎くんだけを好きになろうとした」


「――っ」


 しほの言葉に、胡桃沢くるりは唇をかみしめる。

 その赤い瞳は、大きく揺れていた。


 明らかに彼女は動揺している。


「べ、別に私は、そんなつもりじゃ……っ!」


 反論しようにも、意志が弱くて。

 口ごもり、言い淀み、文字は完全な言葉へとなるまえに、消えていく。


 見ていて可哀想なくらい、胡桃沢くるりは狼狽えていた。


「同情なんてしないわ」


 しかし、メインヒロインは逃さない。

 中山幸太郎のように、中途半端な優しさで慈悲をかけるような愚行を、彼女は犯さない。


 なぜなら、同情したところで意味がないからだ。

 人を好きになっている以上、それは即ち誰かを傷つけていることと同義である。


 恋敵にかける優しさなど、侮辱に他ならない。


「幸太郎くんを勝手に好きになって、散々彼を振り回していたくせに、他の人も好きになってしまいました――なんて。そんな身勝手な恋愛が許されると思っているのかしら」


「……るさいっ」


 ただ、胡桃沢くるりも、言われっぱなしでいることを良しとしなかった。


「――うるさい! 勝手に私の感情を決めつけないでっ……分かった風なことを言っているけど、あんたに何が分かるの!?」


 くるりの反論はもちろん的確だ。

 今までのしほの言葉は、全て彼女の『推測』に過ぎない。


 しかし、しほは自分の言葉を一切疑っていなかった。


「分かるわ。同情はしないけれど……共感は、できるもの」


 そこで少し、表情を曇らせる。


「もし、私が幸太郎くんと出会う前に、似たような人間と出会っていたら……もしかしたら、あなたのようになっていたかもしれないわ」


 今まで、いろいろなことを言っていたが。

 ただし、しほは別に胡桃沢くるりという少女を、嫌っているわけではない。


 今は立場上、敵対関係にあるのだが……くるりの選択や行動自体は、彼女にも共感できることが多々あったのだ。


「私の運命の人は幸太郎くんだから、もしあなたと似たような状態になっていたら……なんて考えると、ぞっとするわ」


 仮に、中山幸太郎と出会う前に、彼に似たような男性と出会っていたのなら。

 4月のあの時、教室でぐっすりと眠っていたしほを起こしていたのが、幸太郎じゃない人間だったとするならば。

 その人物が、あるいは幸太郎に似たようなキャラクターを持っていたとしたら。


 その時、しほはその相手と、仲良くなっていたかもしれない。

 しほはそう思っているからこそ、胡桃沢くるりに共感することができるのだ。


「不運だったことは理解しているわ。あなたの幸太郎くんへの恋心を否定することができないことも、自覚している。だって、人を好きになるのに『許可』なんて要らないものね」


「……じゃ、じゃあなんで、怒ってるわけ? あんたに私の恋を止める権利がないのなら、放っておいてよっ」


「――いいえ。それとこれとは、別問題よ」


 人を好きになるに許可なんて要らない。




 だが、人を好きになるのに『理由』は必要である。




「あなたの『好き』は、とても薄っぺらいわ。そんな軽々しい感情で、幸太郎くんにちょっかいを出した。しかも、あなたは彼を傷つけた」


 仮に、くるりの恋が本物なら、幸太郎が傷つくことも仕方ない。


 もちろんしほは彼が傷つくことを許容できないが、かといってくるりを責めることもできない。何故なら、恋愛とは傷つけ、傷つけられる行為だからである。


 だが、それらはあくまで、くるりの恋が『本物』だという仮定の上に成り立つお話だ。


「理由なく相手を傷つけるという行為を、なんていうか知っているかしら?」


 世間では、絶対に許されてはならない最低な行為である。




「それはね――『暴力』っていうの」




 霜月しほが怒っていた理由は、この一言に集約される。

 胡桃沢くるりの一方的な暴力に、彼女は怒っていたのだ。


「そ、そんなの、言いがかりじゃない! 私は暴力なんて振るっていない!!」


「だったら、説明して」


 胡桃沢くるりの反論に、しほは言葉をかぶせて真っ向から対抗する。


「幸太郎くんを好きになった理由を、言ってみて」


「……ええ、もちろん。そんなの、簡単ね!」


 その言葉に対して、胡桃沢くるりはすぐに口を開いた。


 しかし、


「――――っ」


 彼女の口から、言葉が発せられることはなく。


「……ほら、所詮はその程度なのよ。理由も分からないくせに人を好きになるなんて、ただのおままごとでしかないわ」


 そんな胡桃沢くるりを、霜月しほは鼻で笑うのだった――


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