第二百十七話 耳がいい
「……綺麗な音が聞こえるわ」
不意に零したその言葉に、胡桃沢くるりは困惑してしまう。
「な、何のこと? 別に、音なんて聞こえないけど」
「あなたには聞こえないでしょうね。だって、私はとても耳がいいから」
先天的に聴覚が発達している彼女は、あらゆる感覚を『音』で表現することがしばしばあった。
呼吸のリズム、心臓の鼓動、衣擦れ音、言葉の抑揚、などなど。
そういった物理的な音に始まり、フィーリングや雰囲気、相性など――つまり第六感にも似た感覚をも、彼女は音で表現する。
「綺麗なのは、あなたの音よ……透き通っていて、透明で、涼やかな音色が聞こえるわ」
「……それが、どうかしたわけ?」
胡桃沢くるりは混乱していた。
中山幸太郎の靴箱にラブレターを入れようと思ったら、その場面で霜月しほと遭遇して、かと思ったら校舎裏に呼び出されて、今は変な話を聞かされているのである。
会話の主導権をずっとしほに握られていて、彼女は終始振り回されてしまっていた。
霜月しほの会話は、とにかく飛びまくる。
あっちに行ったり、こっちに行ったり、ついていくだけでもたいへんだ。
そんな相手と長時間もの間、楽しくおしゃべりできる人間なんてめったにいないだろう――そう彼女が思っても自然なほど、霜月しほは変な間で会話をする少女だ。
「つまり私はね、別にあなたのことが嫌いなわけではないわ」
「嫌いじゃなかったら、そんなに敵意を剥き出しにしないと思うんだけど?」
「……む、むきだし? 私、たまねぎみたいにむかれてるのかしら……」
「…………」
またしても、スかされてしまう。いや、実際にはしほがおバカちゃんなだけで、意図的に会話の流れを変えたわけではないのだが、とにかく胡桃沢くるりはやりにくさを覚えていた。
ガッチリと組み合いたいのに、会話がまったく噛み合わない。
独特の間に、胡桃沢くるりは顔をしかめる。
「えっと……私のこと、嫌いじゃないんでしょ? だったら、そんなに睨みつけないでほしいって、言ったかったの」
「あ、そういうことなのね。うんうん、理解できたわ。とにかく私は、あなたのことが嫌いではないけれど、怒っているということを、言いたったかったのよ」
「怒っている? どうして?」
今度は逆に、胡桃沢くるりがとぼけてみせる。
どうにか会話の手綱を握ろうと試みたのだが……霜月しほは、おバカちゃんでこそあるが、愚か者ではなかった。
「幸太郎くんを傷つけようとした」
今度はまっすぐに、事実をぶつけてくる。
とぼけることを許さないと、胡桃沢くるりの言葉を切り捨てる。
「彼を諦める理由を、彼で作ろうとしないで。そんなの、卑怯よ」
「……卑怯? どういうことかしら? 私はただ、中山に告白しようとしただけなのに、それに対して文句を言われる筋合いはないんだけど?」
売り言葉に買い言葉。
なおも胡桃沢くるりはしほの言葉をかわそうとする。
だが、全てを知っているしほが、そんな真似を許すはずはなく。
「告白するだけなら、私だって怒らないわ。でも、あなたは告白して付き合おうとなんて、思っていないもの。わざと振られて、彼への思いにけじめをつけようとしているだけのくせに、それが卑怯じゃないわけがないわ」
まくしたてるように言葉を紡ぐ。
それから、留めとばかりに……霜月しほは、あの人物の名を口にした。
「竜崎くんのことが好きになったから、幸太郎くんを切り捨てたいんでしょう?」
「――――っ!?」
そのことが知られていたことに、胡桃沢くるりは目を見開く。
もう、とぼけることなんてできなかった。
「な、なんで、それを……!」
知っている者はいないはずだった。
仮に察知されていたとしても、それは恋心の対象なっている竜崎龍馬だけで、他の人間には知られるはずのない感情である。
だというのに、第三者でしかない霜月しほが、それを把握していたのだ。
胡桃沢くるりが驚愕するのも、無理はないだろう。
「知っているわ。だって私は、耳がいいもの」
その答えに、今度のしほはおどけて返す。
「あなたのことなんて、お見通しだもの」
耳をかわいらしくピクピクと動かして、微笑んでいるが……その目の奥は、一切笑っていなかった――
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