第二百十六話 メインヒロイン『様』
ふと思い返してみると、なんとも奇妙な偶然だった。
「まさかラブレターを入れようとしたタイミングで出会うなんて、不思議なことがあるものね」
場所は校舎裏。隣では胡桃沢くるりが居心地悪そうに佇んでいる。
そんな彼女に、霜月しほは気さくに声をかけた。
「もしかして、これも運命だったのかしら? 私は『運命』って言葉、嫌いじゃないわ。ロマンチックだから、なんというか、こう……いいわよねっ」
以前までは人見知りなせいで、他人とあまり話すことができなかったが。
しかし今のしほは、別人のように口数が多くなっている。
中山幸太郎がしほと出会って成長したように、彼女もまた日に日に成長しているのだ。
知らない人とも、ここまで話せるようになった。
ただ、それが正解なのかどうかは、しほもよく分かっていなかったらしい。
「ねぇ、さっきから黙っているけれど、もしかして話題の選択を間違えたかしら? こういう時って明るい雰囲気を出すべきじゃなくて、もっとシリアスにした方が良かったとか?」
あまりにも胡桃沢くるりが黙ったままなので、しほは首を傾げてしまった。自分の言葉が場と合っていない気がしたのである。
「ほら、私とあなたって、一応は恋敵にあたるし……だったら、もっと険悪になるべきなのよね。あ、そういえば私って、あなたにとっても怒っているんだったわ!」
それから、思い出したように彼女は拳を掲げて、自分は『怒っている』とアピールを始める。
「もう、ぷんぷんっ。私のかわいい幸太郎くんを傷つけるなんて、ダメよ? いくら彼が可愛いからって泣いちゃうほどに苦しめるなんて、とっても酷いわ――なんて、ね? えへへ、冗談でした~。怒ってるなんて嘘よ。だから笑ってもいいのよ? ほら……笑えるなら、笑ってよ」
怒っている割には、態度があまりにもふざけているが。
普通なら笑ってしまうような言動は、ポンコツな霜月しほらしいとも表現できるよう。
だが、胡桃沢くるりはピクリとも表情を動かさなかった。
「……笑えるわけ、ないじゃない」
赤い瞳が、微かに揺れている。
その表情に宿っていたのは『恐怖』という感情だった。
「だって、そっちの目が笑ってないから」
その言葉に、しほはもう一度笑う。
だが、胡桃沢くるりの言う通り、目の奥側は氷のように冷たかった。
「うふふ。まぁ、そうね……だって『笑い事』じゃないもの」
黒い瞳からは、陶器のような冷たい光が放たれている。
そして彼女は、表情から一切の色を消した。
「もし、私があなたの卑怯な行動を見つけなければ……ラブレターを差し出す瞬間に遭遇しなければ、きっと彼はまた傷ついていた。しかもこれで二度目よ? あなたは一度、私のかわいい小枝を折ったのよ? 二度目は、許さないわ」
いつもよりしほは饒舌である。
それは、彼女が成長して、人見知りを克服したから――という理由だけでは、もちろんなかった。
霜月しほがいつもよりも口数の多い理由。
それは、彼女が『怒っている』からだったのである。
「もし、私の運命を決める神様がいるのだとしたら、この偶然に感謝するわ……あなたの身勝手な行為を防げたことを、本当に嬉しいもの」
いつもいつも、余計なことしかしないラブコメの神様は……しかしメインヒロインに対しては、イタズラなどできないようだ。
何故なら彼女は、この作品において最も理不尽であり、強烈で、圧倒的な存在感を有する『メインヒロイン様』である。
ともすれば、主人公様である竜崎龍馬よりも、彼女はハッキリとした『個』を持っているのだ。
つまり、この偶然の出会いは、運命なんかじゃない。
彼女を見守るラブコメの神様が勝手に優遇した結果であり、即ち『ご都合主義』なのだ。
「やっと、こうしてお話ができるわね」
陰でコソコソと隠れて、彼女の大好きな主人公にちょっかいを出し続けた泥棒猫ちゃんを、ようやく追い詰めることができた。
「そろそろ決着をつけましょう? 私にあなたの思いを聞かせて?」
歌うように、透明な声が紡がれる。
しかしそこに宿る音はとても歪んでいた。
(酷い音ね)
自分の声に、しほは思わず笑ってしまう。
(こんな音、彼には聞かせられないわ)
普段は隠している自分の一面は、できるのであればずっと隠していたかった。
しかしそんなわけにもいかない。
(あなたを守るためなら……私はいくらでも、汚れたっていいわ)
自分のことなんて関係ない。
彼女はいつだって、たった一人のために生きている。
これまでも、今も、それからもちろん、これからも。
ずっとずっと、しほは彼を愛すると決めているのだから――
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