第二百十三話 俺の知らない物語


 叔母さんに家庭教師をサボったことがバレて、強制的に胡桃沢家に連行された。


 今日は土曜日。週末だが、なかなか寝付けずに家でふさぎ込んでいたら、不意に叔母さんがやってきたのである。


『契約は守れ。不満があるなら後で聞く。とりあえず行くぞ』


 有無を言わせずに、半ば強制的に連れ去られて、俺は胡桃沢家にやってきたわけなのだが。


 まさか、胡桃沢さんの家で竜崎龍馬と出会うなんて、思ってもいなかった。


(あいつは何をしてたんだ?)


 すれ違い、軽く言葉を交わして、背を向ける。


 たった数度のやり取りで、もう分かった。


(元のあいつに戻ってる……いったい何があった?)


 少し前までの、覇気のないクズ野郎はもういない。

 今の竜崎からは、強い意志を感じた。


 以前と同じ……ではない。以前よりも、あいつのオーラにはすごみがあった。対面しているだけで自分の小ささを感じてしまうような、そんな『特別性』に、威圧された。


 もともとモブキャラだった性質なのか……堂々たる『主人公様』としての佇まいに、畏怖を覚えたほどである。


(昨日と今日で、何かが違っているような気がする……)


 違和感がある。

 昨日を境目に、それ以前と以降に、大きな隔たりを感じる。


 うまく言えないけど……変化があったのだ。


 そのきっかけは――やっぱり、彼女なのだろう。


(しほと再会してから、全てが動き出したのか?)


 あの子が復活して、一気に物語が加速した気がする。

 それまではグダグダしていたのに、様々な伏線が回収され始めているような気がした。


 まるで、目が滑っていた文章に、いつの間にか引き込まれているような。

 つまらない物語だと思っていたら、たちまちに集中して、時間を忘れているような。


 そんな変化があるような気がしてならない。


(胡桃沢さんは、どうだ?)


 あの子も、何か変わっているのだろうか。

 竜崎と同様、俺の知らない場所で何かが起きていて、それがきっかけで変化していないだろうか。


 それを確認するためにも、彼女の家へと急いだ。


「おはようございます、くるりさんの友人ですけれど」


 ドアの前で、インターホン越しに声をかける。


 そういえば、本来であれば門の前でも連絡を入れるべきだったけど、ちょうど竜崎とタイミングが重なって門が開いていたから、そのまま敷地内に入っていた。


 だから、俺の来訪は胡桃沢家にとって急だったらしい。


『少々お待ちください、お嬢様に確認しますので』


 ただ、俺は使用人さんとも顔見知りだったので、丁寧に対応してくれた。

 恐らく、胡桃沢さんに俺の来訪を告げてくれたのだろう。待っていると、突然ドアが開いた。


「中山!? い、いきなり、どうしたのっ?」


 その顔は――どこか、焦っているようで。


「いや、昨日の家庭教師、休んじゃったから……代わりに今日、来たんだけど」


「そ、そうなの……わざわざ、悪いわね。でも、えっと、来るなら連絡がほしかったていうか、あの――」


 ……あれ?

 やっぱり彼女の様子は、変だ。


 明らかに焦っている。

 まるで、嘘がバレた時の子供みたいに、瞳が激しく揺れていた。


(こんなに取り乱した胡桃沢さんを見るのは、初めてかもしれない)


 俺と言葉を交わすとき、彼女はいつだって冷静だった。

 いつも落ち着いていて、俺の一挙手一投足をチェックして、その言動に最も適した言葉と行動を選び、俺を狡猾に追い詰めていった。


 まるで、蛇のようだとさえ思っていたけれど。

 今の彼女は、まったくそう見えなかった。


「ね、ねぇ……あの、もしかしてだけど、誰かとすれ違わなかった?」


 どうしてそんなに動揺しているのか。

 その理由を、俺はすぐに察知した。


「うん。竜崎とすれ違ったけど」


 彼の名を呼ぶ。

 そうすると、胡桃沢さんは立ち眩みを起こしたようによろめき、扉にもたれかかった。


「…………違うの」


「え? な、何が?」


「別に、何かしていたわけじゃないのっ。ただ、道路でたまたま会って、車にひかれそうになったところを助けてもらって、その時に彼が怪我をしたから、その手当をしていただけで、それから――」


 聞いてもないのに、いきなり竜崎とのことを説明する胡桃沢さん。

 そんな彼女を見ていると……やっぱり、変だった。


(竜崎と同じだ……胡桃沢さんも、おかしくなってる)


 予想が、確信へと変わる。

 絶対に、何かが起きている。


 俺の知らない物語が、やっぱりどこかで紡がれていたのである――

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