第二百十一話 知恵の輪の簡単な解き方


 そういえば俺は、女性の懐に入るのが随分と優れているような気がする。

 思い返してみると、初対面の異性とはいつもすぐに仲良くなれた。


 例外は……霜月しほだけだったかもしれない。

 今回も、その例にならって中山の叔母である千里さんとすぐに打ち解けた。


「千里さん、帰るんだったら送ってよ」


「……初対面なのに随分と馴れ馴れしい小僧だな」


 呆れたように肩をすくめているが、彼女は首を横には振らなかった。


「まぁ、多少ナマイキな方がクソガキらしくて好ましいがな……聞き分けが良すぎるとつまらん。ああやって育った子は、見ていていたたまれないな」


 その脳裏には、たぶん甥である中山幸太郎の姿が浮かんでいるのだろう。

 それにしても、身内のことなのに他人行儀である……中山とは然程仲がいいというわけではないみたいだ。


「とりあえず、乗りたいなら乗れ。私は忙しいからな、小僧と雑談する時間があるほど暇ではない」


 一服していたタバコを吸い終わったのだろう。携帯灰皿に吸い殻を入れて、彼女は車へと乗り込む。

 少し遅れて、俺も助手席側のドアを開けた。


「うわ……タバコくせぇな」


 途端に漂ってくる臭いに顔をしかめながらも、車内へと体を入れる。

 そんな俺を見て千里さんは息をついた。


「やれやれ、最近のガキはタバコにうるさいな。小言を言われるのはうんざりだ……お前も私の体を気遣って『やめろ』と言うつもりか?」


 ……ああ、なるほど。

 中山にもタバコのことは嫌がられているのだろうな。


 まぁ、慣れていない人にとっては苦手だろうし、体に悪いのも事実だ。あいつの発言も間違いではないが、俺は少し考え方が違っていた。


「別にやめなくていいんじゃないすか?」


 シートベルトを締めながら、ふと両親のことを思い浮かべる。

 あの二人も、結構な愛煙家だった。だから俺はタバコの臭いが嫌いというわけじゃないし、中山ほどの抵抗感はなかったりする。


「やりたいことやって、後悔なく死ねるならそれでいいだろ」


 そう呟くと、運転席に座った千里さんは、ゆっくりとこちらに視線を向けた。

 今までずっと明後日の方向を見てばかりで、俺をまともに直視しようとしなかった女性が、こちらをまっすぐに見ている


 まるで、今初めて俺のことをしっかりと認識したように。

 その時、やさぐれていた顔が、ほんの少し緩んだ。


「面白いことを言う。ああ、そうだな……確かに、後悔なく死ねれば、それでいいか」




 ――カチッ。




 不意に音が鳴った気がした。

 それは、千里さんの心のカギが、開く音。


(相変わらず、懐に入るのが上手いねぇ……まったく。俺は本当に、女たらしだ)


 自分のことがイヤになる。

 こうして仲良くなれたことで、きっと千里さんは口を滑らせてくれるだろう。


 別に狙っていたわけではないが……結果的に、目的を達成するための準備が終わってしまったのだ。


 それこそ、俺が主人公である所以なのだろう。

 この特性を悪用しているようで気が引けるが……今はそれを、ありがたく利用させてもらうとしよう。


「実はな、私は姉……幸太郎の母が経営している会社で働いていてな――」


 それから、千里さんは多くのことを語ってくれた。

 聞いてもいないのに、俺が知りたい情報をべらべらと話してくれたのである。


 中山幸太郎の家族のこと。

 あいつの親が経営している会社が傾いていること

 千里さんがその会社で寝る暇を惜しんで働いていること。

 中山が胡桃沢家との交渉に利用されたこと。

 家庭教師の契約をあと一日残して中山が逃げ出したこと。

 今日はそんな中山の首根っこを掴んで、千里さんが胡桃沢家に連れてきたこと。


 千里さんは口数があまり多そうな人間ではないが、車内では本当に饒舌だった。

 おかげで全てを知ることができたのである。


「ありがとう、千里さん」


「ああ、気をつけて帰れよ……龍馬」


 しかも、わざわざ俺の家まで送ってくれて、本当によくしてくれた。

 最後の方になったら俺のことを呼び捨てするくらい心を許してくれたのである。


「さて……なるほどねぇ」


 事情を知って、中山の置かれた状況に、思わずニヤけてしまう。

 なかなか面白い状態になっているみたいだ。


 あらゆる因縁が知恵の輪みたいに絡まって、中山は身動きが取れなくなっているようである。


「仕方ねぇな。最初で最後の、手助けだぞ」


 自宅で、俺は笑いながら携帯端末をポケットから取り出した。

 あいつを拘束する鎖を、一つほどいてやることにしたのだ。


 なぁ、中山……お前は、知恵の輪を最も簡単に解く方法を、知っているか?

 知恵の輪はな、頭を使わなくても解くことができるんだぞ?


「…………」


 電話帳から番号を呼び出して、彼女へとコールをかける。

 数秒後、電話口から聞こえてきたのは……数カ月ぶりの、声だった。


「モシモシ……リョウマ?」


 少し片言混じりの言葉に、頬が緩む。

 数か月ぶりに聞いたけど、やっぱり彼女の声を聞いていると、元気が出てきた。


「久しぶり。突然ごめんな……メアリー」


 連絡したのは、メアリー・パーカーである。

 彼女こそ、中山を縛る知恵の輪を解く一番の手段だ。


「ちょっと、お願いしたいことがあってさ」


「……お願い?」


「うん。実は――お金絡みのことなんだけど」


 そう。

 今回、中山を苦しめているのは、あいつの両親が経営している会社が傾いていることが一つの要因である。

 その解消法として、メアリーを使うことにしたのだ。


「お金? いいよ、何でもしてあげるよ?」


 俺の頼みごとに、彼女は即座に頷いてくれる。

 そうなのだ……メアリーという少女は、恐らくは胡桃沢家以上の金持ちな家に生まれている。


 今回はメアリーという『力』を使って、中山の因縁をほどいてやることにしたのだ。


(いや……『ほどく』じゃなくて『壊す』の方が、正しいか)


 知恵の輪最も簡単な解き方は、簡単だ。


 力づくで、壊せばいい。


 そのために俺は、メアリーという『暴力』を利用することにしたのである――

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