第二百十話 最初で最後の『貸し』


 なんだかこうしてしっかりと対面するのは、久しぶりな気がする。

 まぁ、少し前に道端で会って、その時に『俺はモブキャラだからあまりイジメないでくれ』とお願いしたきりなので、日にちとしてはそんなに経っていないのだが。


 ともあれ……酷い顔だ。

 前までの中山はいつも無表情で、どんなことがあっても表情を動かさないような奴だった。


 喜怒哀楽の感情が小さい人間で、酷くつまらない奴だという認識が強い。

 こいつが笑うのは霜月の前でだけだ。その他の人間の前では、まるでロボットみたいに平坦な男である。


 ただ、今の中山はやつれており、いつもの無表情よりも顔色が悪かった。


「随分と元気そうな顔してるじゃねぇか」


 ニヤニヤしながらそう声を掛けたら、中山は呆れたように息をついた。


「皮肉か?」


「それ以外に意味があるとでも?」


「……そうか。お前は元気になったみたいで、何よりだ」


 俺の様子を見て、中山はもう一度息をついた。

 俺が挑発しようと、こいつはまったく意に介さない。


 いや、正確には何かしら思っているのだろうが、外面だけ見てもまったく感情を読み取れなかった。


 相変わらずの野郎だ。

 こいつが感情的になるのは、しほに関することのみである。

 その他の出来事では無感動なので、それがまた鼻についた。


「ちっ、つまんねぇな。挑発されたら怒ればいいものを……煽り甲斐のねぇ奴だ」


「それは悪かった」


 無言で首を横に振って、中山は俺から視線を切る。

 それがまた、不快である。


「おい、俺がここにいる理由は聞かなくていいのか? 俺が元気になったことについても、詳しく知りたいんじゃないか?」


 餌をまく。

 中山が気になっているであろう情報をばら撒き、なんとしてでも食らいつかせようと、釣り糸を垂らす。


 しかしこいつは平然としていた。


「聞いたところで意味なんかないよ。お前が教えてくれるわけないし……何があったかは知らないけど、元気になった竜崎が俺を助けてくれるなんて、ありえないだろ?」


「……よく分かってるじゃねぇか」


 そういう機械的な思考が、イライラする。


「やっぱり俺はお前が嫌いだ」


 ハッキリとそう告げる。

 改めて確認した自分の気持ちをそのまま吐き出すと、中山からは苦笑が返ってきた。


「そうか。俺もお前が嫌いだから、お互い様だな」


 それだけを言い残して、中山は歩き去っていく。

 くるりの家に向かうあいつの背中は、小さく丸まっていた。


「……気に食わねぇな」


 舌打ちを零して、それから中山に背を向ける。

 そこでようやく、まだ人がいることを思い出した。


「おい、小僧。胡桃沢家のお嬢様とはどういう関係だ? 今後の役に立つかもしれんから、話を聞かせろ」


 タバコを吸いながらこっちを見ている女性は、車で中山を連れてきた人である。

 スレンダーな体系なのに、胸がふくよかなのが少しエロい。髪の毛はお団子状にまとめているのが少し残念だ……髪の毛を下ろせば、もっと美人になるだろう。


 切れ長の目も、形の良い唇も最高だ。ただ、目元のクマと、血色の悪い肌はマイナスである。たぶん、見た目通り仕事人間なのだろう……睡眠不足なのかもしれない。


 さて、この美人なお姉さんは誰だ?

 中山とどういった関係性の人間なのだろうか。


「俺はくるりの……そうだな、友達? いや、違うか」


 ありふれた関係性を口にしようとして、しかしそれは違うだろうと自分で否定する。

 俺とクルリの関係は友人なんかじゃない。


「俺はくるりの『ヒーロー』だな」


 強いて言えば、これが最も適した回答だろう。

 嘘なんて言っていない。ありのままの関係性を口にしたのだが、美人なお姉さんは鼻で笑った。


「ガキが。大人をからかうなよ」


「嘘は言ってないんだけどな」


 やれやれ、信じてもらえないみたいだ。


「じゃあ、友達でいいよ。うん、俺はくるりの友達だ。それで、そっちは? できれば、美人なお姉さんの名前を知りたいんだけど?」


 聞き返すと、彼女はタバコを咥えながら名乗ってくれた。


「一条千里だ。こう見えて32歳のピチピチギャルだ。よろしくな、クソガキ」


「……18歳にしか見えないのに、意外だなぁ」


「心にもないお世辞だな。笑わせてくれる」


 そう言いながらピクリとも笑っていないところが、逆に興味深かった。

 なかなかいい女である。こういう理路整然とした女性とはフィーリングが合うので、仲良くなれそうだ。


「それで、中山とはどういう関係なんだ?」


「あの小僧とは親族だ。私の姉の息子が幸太郎でな……俗にいう『叔母さん』が、私ということになる」


 自分のことなのに、千里さんは他人事のようにそう呟いていた。

 なるほど、中山の関係者か。


(どうして叔母がくるりの家に送迎したんだ? ……なんか、匂うな)


 何者かの作為的な痕跡を感じて、少し考えてみる。

 これもまたラブコメの神様の導きなのだろうか。


(ここで知らないふりをして帰るのも悪くない……)


 でも、それでは霜月との約束を十分に果たしたとは、言えないかもしれない。


(中山に力を貸すのは、釈然としないが)


 ともあれ、である。

 あいつの思惑通り、『俺が中山を助けない』を素直に実行するのも、それはそれでイライラするわけで。


(貸しにしてやるよ、中山……これが最初で最後の手助けだ)


 だったら、今回くらいは手を貸してやるかと、気まぐれにそう思ったのである――

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