第二百八話 『特別』と『異常』は同じ意味


 胡桃沢を交通事故から助けた後のことだ。

 地面に体を打ち付けた際、膝に擦り傷を負った。

 もちろんそれはただの軽症だ。


 傷口を洗って絆創膏でもしてたら勝手に治ると思うのだが、それを見た胡桃沢はかなり青ざめていた。


「私のせいで怪我をさせちゃってごめんね?」


 謝りながら、彼女は手当てをしてくれた。

 わざわざ俺を自宅まで案内してくれて、過剰なまでに接待してくれている。


 それがすごく、不自然で。

 彼女の恋心が揺れているのが、ハッキリと分かった。


 鈍感だった頃の俺なら『気のせい』だと無視していただろうが……覚醒して、多少はマシになった今の俺にはちゃんと分かってしまう。


「こんな感じでいいのかしら……ねぇ、大丈夫?」


 不安そうに俺を見つめる胡桃沢に、笑顔を返す。


「大丈夫だよ。これくらい、大したことないからな」


 こうすればいいんだろ?

 俺が笑えば、お前も嬉しいだろ?


 あまりにも傲慢な思考だ。

 こんなの普通ではありえない。


 笑っただけで相手が喜ぶなんて、まるで俺がモテているみたいだ。


 ――そう考えていたから、以前までは勘違いをしていたのだが。

 実際に、俺はどうやらモテているらしい。


 霜月がちゃんと言ってくれた。

 俺ほど『女たらし』の人間はいない――と。


「そ、そう……良かった」


 笑いかけると、胡桃沢は照れたように頬を赤くして、そっぽを向く。


 チョロい。あまりにも、簡単すぎる。

 特別なことなんて何もしていないのに、胡桃沢はもうすっかり俺のトリコになっている。


 こうなったらもう、簡単だ。


「俺のことより、お前の体も大丈夫か? 一緒に倒れ込んだんだから、どこか怪我をしてるかもしれないぞ?」


「それは、たぶん大丈夫だと思うけど……」


「いや、分からんぞ? ほら、見せてみろ。肘とか、膝とか、打ってないか?」


 心配している風に装って、胡桃沢の手を握った。

 そのまま腕の怪我がないかチェックする、という口実で、スキンシップを試みる。


 俺が嫌いであれば、ここでハッキリと拒絶するだろう。

 俺の手を振り払い、嫌な顔を見せるはずだ。


 だけど……やっぱり胡桃沢は、俺に対して好意的で。


「え? あ、ちょっ……!」


 突然触られて恥ずかしそうにはしていたが、抵抗は一切しなかった。

 これはもう、確実だろう。


(霜月……胡桃沢は間違いなく俺に惚れてるぞ)


 本人に自覚があるかどうかは知らないが。

 ただ、俺という人間が、彼女の心の一部を支配したことは、確実である。


(お前の目論見通り、この女の本性は暴いてやったからな)


 ……まぁ、俺がどうこう言える立場ではないと思うのだが。


 胡桃沢くるりの、中山に対する思いは――限りなく偽物に近いと、判断できるだろう。


 だって、俺程度の人間が彼女の心を奪うことができたのだ。


(上辺だけの人間に惚れるなんて……胡桃沢は、普通の女の子なんだな)


 とはいえ、である。

 別に俺は彼女のことが嫌いではない。

 むしろ、その弱さは人間的で、好意的ですらある。


(霜月に対抗しようとするなんて、勇気があるよ)


 あの子は、特別だ……いや、言い方を変えよう。




 霜月しほは、異常である。




 恐らくは、中山や胡桃沢のような『普通』の人間ではなくて。

 たぶん、俺みたいな『異常』な人間であると、考えられる。


 それくらい彼女は強くて、理不尽な存在だから。


 敵対したことや、抗おうとしたという事実を、誇っていいと思えるくらいに。

 彼女に立ち向かうその意志を、俺は褒めたたえたかった。


「うん、怪我はなさそうだな。安心したよ」


 胡桃沢の体を確認して、もう一度微笑みかける。

 もう彼女の顔は真っ赤で、見ていられないくらいに照れていた。


「べ、別に……ありがとうとか、思ってないんだからねっ!」


 照れ隠しに紡がれたツンデレな言葉に、今度は演技ではなく、本心から頬を緩める。


(それが胡桃沢の、本当の姿なのかな)


 素直になれない天邪鬼な一面は、果たして中山の前で見せていたのだろうか。

 たぶん、そんなところは一度も見せていないだろう。


 だって、彼女の恋心は『偽物』だったのだから。

 たぶんそれは、何者かに作られた『まがい物』だったのだから――

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