第二百五話 『ご都合主義』という麻薬
その遭遇は、あまりにも『不自然』だった。
「おいおい、ぼんやり歩くなよ……危ねぇだろ」
自分を守るように抱きしめている竜崎龍馬を見上げて、胡桃沢くるりは呆気にとられる。
(こんなことって、あるの?)
幾重にも折り重なった偶然の果てに生まれた現実は、あまりにもドラマチックで、なかなか正気に戻ることができなかった。
そうなるのも無理はないだろう。
まず、今は早朝だ。しかも休日で、人通りが最も少ない時間帯である。
そしてここは住宅街からも外れた郊外に位置する場所で、通りを歩いている人間などほとんどいない。
更に言うと、車だってあまり見かけなかった。
そんな場所だからこそ、胡桃沢くるりは油断してぼんやりしていたのだが……不運にも、車が通りかかった。
しかもその車の運転手も注意散漫で、道路を横断する胡桃沢くるりに気付くことなく、あと少しでも助けるタイミングが遅れていたら、彼女は間違いなく大けがを負っていた。
あるいは、彼女が寝不足でなければ、もう少し落ち着いて動くこともできていただろう。少なくとも、道路を横断する前に周囲を確認するくらいのことはできたはずだ。
だが、あらゆる不運が重なって、彼女は交通事故に遭いかけた。
どれだけの不運が重なれば、こんなピンチに陥るというのか。
そして、今度は凄まじい幸運が訪れたから、彼女の驚きは倍増していた。
(どうして、こんな場所に彼がいるの?)
一番の疑念は、これだろう。
竜崎龍馬の家は、間違いなくこの付近にないはずだ。胡桃沢くるりは一度として彼を見たことがない。なのに、交通事故に遭う寸前で遭遇して、しかも助けてもらえたのだ。
(そういえば……竜崎って、こんなに機敏だっけ?)
先程のことを思い返してみると、彼はやけに反応が早かった。
車にぶつかりそうになった寸前。恐怖で体がすくんだ瞬間、駆け寄ってきた竜崎龍馬は迷いなく胡桃沢くるりの腕を掴んだ。
次に、力づくで引っ張り寄せたかと思ったら、一緒に倒れ込むように歩道側へ身を投げ出した。
おかげで、胡桃沢くるりは怪我もなかった。竜崎龍馬が抱きしめてくれていたおかげで、倒れ込んだ時も無傷ですんだのである。
命を助けてくれたことに関しては、とても感謝している。
ただ、思い返してみると……あまりにも、不自然だ。
(なんというか、手慣れてる?)
普通の人間が、咄嗟にこうやって動けるものだろうか。
見ず知らずの他人のために、危険だと分かっていながらも、人を助けることができるのだろうか。
そういった疑念が脳裏をよぎる。
あらゆる不運と幸運が同時に襲いかかってきて、ただそれらは同じ程度の総量だったからこそ、打ち消されて……結果的に、何事もなく無事に終わった。
ただし、事件が起こる前と後では、異なる点が一つある。
それは――胡桃沢くるりが、竜崎龍馬と運命的な遭遇をした、ということだった。
「……おい、ぼんやりしているけど、大丈夫か? もしかして、頭でも打ったか?」
様々なことを考えていたせいだろう。
竜崎龍馬の言葉にしばらく無反応でいたら、彼が不安そうに体を揺すってきた。
「え? いや……」
大丈夫、と言おうとして。
しかしその前に、竜崎龍馬が動く。
「どこか出血してないよな……?」
彼は不安そうな面持ちで、胡桃沢くるりに顔を寄せる。
頭や顔など、くまなく確認して傷を探す彼に、胡桃沢くるりは……思わず、赤面してしまった。
「ち、近い……」
視線を逸らしながら、震える声でなんとか呟く。
そうすると、竜崎は申し訳なさそうな顔で、少し離れてくれた。
「ん? ああ、悪い。べたべた触ってすまないな……でも、怪我はなさそうで安心したよ。それで、意識はちゃんとあるか? 頭とか打っているなら、そう言ってくれ。万が一のために、救急車を呼ぶから」
竜崎龍馬に悪意や他意はなさそうで。
心から心配そうにしてくれいている彼に、胡桃沢くるりは息を飲む。
近くで見ると、彼の顔はとても整っていて……それがまた、彼女の鼓動を激しくした。
(こんな出会い……ありなの?)
あまりにも運命的で、ドラマチックなイベントが起きた。
そのせいで、彼女の心は揺り動かされる――
……運命とは、麻薬だ。
現実を惑わし、夢想と妄想を助長する、毒だ。
物語では、その毒物を『ご都合主義』と呼ぶ。
ついに、彼女も毒牙にかかった。
メインヒロインさえも食らおうとしたサブヒロインは、果たして絶対的な主人公様であらせられる『ハーレム主人公様』に、抗えるのだろうか?
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