第百九十六話 黒幕の気配


 実のところ、霜月しほは胡桃沢くるりのことが嫌いではなかった。


(あんなに綺麗な音を発する人なんて、見たことないわ)


 お昼休み。教室の片隅で掲示物を読んでいるふりをしながら、胡桃沢くるりの様子を伺う。ピンク色の髪の毛をツインテールに結んでいる少女は、うつ伏せになって寝ていた。


(……やっぱり、悪人ではないと思うのだけれど)


 どんなに観察しても、胡桃沢くるりから悪意の気配はない。

 異常に発達した聴覚でも、胡桃沢くるりの異常性を捉えることができず、しほは困っていた。


(もっと分かりやすい悪人だったら、ちゃんと嫌いになれたのになぁ)


 ――中山幸太郎を傷つけたのは、本当に胡桃沢くるりなのだろうか?


 観察すればするほど、その疑念が強くなる。

 彼女の感覚的に言うと、胡桃沢くるりは悪い人間ではない。

 少なくとも、中山幸太郎を平気で傷つけるような人間には見えなかったのである。


(それに……なんとなく、綺麗すぎるというか……どこか、人工的な感じもするわ)


 胡桃沢くるりの『音』は、どうも不自然である。

 種類としては、彼女の母親に似ていた。正統派ヒロインの霜月さつきはとても澄んだ音を発する人で、胡桃沢くるりとそっくりである。


 ただ、本物を知っているからこそ、微かに漂う人工的な気配を意識してしまう。


(彼女は本当に、自分の意思で幸太郎くんのことを好きになったのかしら?)


 もし、そうでないとしたら。


(誰かが裏で手を引いて、無理矢理そういう感情を抱かされていた……とか。そういう感じだったら、少し可哀想ね)


 しほはどうしても、怒りの矛先を胡桃沢くるりに向けられない。

 その裏に存在する何者かの気配を、彼女は捉えていた。


 その相手が、中山幸太郎が言うところの『ご都合主義』である。

 しほはメタ的な視点を持っていないので、その概念を知らないのだが、異常に鋭い感覚がその気配を察知していたのだ。


(……どうしたらいいのかしら)


 今後、どうするべきなのかを、考えてみる。

 直接的な言葉で胡桃沢くるりを責めようと、大した意味はない。

 むしろしほの存在を警戒させてしまうことになり、彼女の本性を暴くことが出来なくなってしまう。


 しほが知りたいのは、胡桃沢くるりの本当の気持ちだった。


(もし、心から幸太郎くんを愛していたのなら……その恋を邪魔することはできないけれど)


 仮にそうだったとしたら、中山幸太郎には申し訳ないが、答えを出してもらうほかない。

 その時は、苦悩の末に辿り着いた答えを受け入れてあげようと、しほは考えている。


 しかし、もし胡桃沢くるりの恋心が、人工的に造られたものだったとしたら。


(その時は、絶対に受け入れられないわ)


 ハッキリと拒絶しなければならない。

 胡桃沢くるりを、ではない。


 その背後にいる黒幕に、『私がいる限り幸太郎くんには手を出させない』という意思を示さなければならないのだ。


 しほは、ご都合主義で振り回されたくなかった。


(私と彼の物語を邪魔するのなら、戦ってやる)


 ただの愛らしい少女ではいられない。

 大好きな人を守るためなら、時には心を鬼にだってする。


 それができるのが、霜月しほの強みである。


 彼女は、キャラクターの役割に囚われない。

 メインヒロインという立場にありながら、いつだって物語から外れた動きをしている。


 それが、霜月しほというキャラクターの性質だった。


 全ては、中山幸太郎を幸せにしてあげるために。


(……そうだ、彼がいたじゃない)


 彼女は、この作品における禁忌でさえも、利用することをいとわない。


(竜崎くんは、どこにいるのかしら?)


 そうしてようやく、彼女と彼の接点が生まれる。


 物語上では、ずっと空気のように消えていた、幼馴染の元ハーレム主人公様を、しほは思い出していた。


 無関心で、苦手で、可能であるならば関わりたくない人間だったのだが。


(幸太郎くんのためなら、仕方ないわ)


 そんなこと、気にしていられる状況ではないのだから――

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