第百九十五話 霜月しほはおバカじゃない


 振り返ってみると、彼女視点の物語は今まであまり語られてこなかった。


 つまり、この作品における『霜月しほ』というキャラクターは、中山幸太郎というフィルターを通して構成されている。


 彼が思う霜月しほとは、とても純粋で透明な女の子だ。

 少し独占欲が強くて、ポンコツで、高校生にしては精神年齢が幼いふわふわした少女が、中山幸太郎にとっての『霜月しほ』である。


 もちろんそれは、間違いではない。

 彼の認識はほとんど正確だ。


 しかし、足りない。

 たかがその程度の説明で、霜月しほという少女を語るのは難しい。


 彼女のもっと奥底の部分……心の中を覗き込んでみると、中山幸太郎の認識が浅いことも、理解できるだろう。


(はたして、こんな私を彼は愛せるのかしら?)


 霜月しほは自分の異常性をよく理解している。


 彼女は中山幸太郎と違って、自分のことをしっかりと認識していた。


 自己肯定が過ぎて驕ることも、自己否定が過ぎて卑屈になることもない。

 自分のかわいさも、ポンコツさも、才能も、全て分かっている。


 そしてもちろん、自分自身の『歪み』さえも、しほは把握していた。


(私はもう、臆病ではなくなっちゃったから)


 かつて、他人の視線を怖がっていた少女は、たくましく成長した。

 もちろん今でも苦手ではあるが、人前でも平気でいられるようになった。


(あなたのためなら……人の視線なんて、怖くないわ)


 中山幸太郎の影に隠れてばかりの自分ではいられなくなった。


 たくさん守ってくれた少年に恩返しをするためにも……そして、彼との愛を成就させるためにも。


 まずは、けじめをつけなければならない。


(幸太郎くんを傷つけた人は、誰だったかしら?)


 中山幸太郎を縛る鎖を断ち切らなければならない。

 そのために、霜月しほは彼に絡みつく因縁を探ろうとしていた。


(たしか、胡桃沢くるりさんだっけ?)


 お昼休みのことだ。この日の彼女は珍しく、教室でお弁当を食べていた。いつもは中山幸太郎と食事を共にするのだが、一緒にいては彼を苦しめてしまうので、自重したのである。


(幸太郎くんは、どこかに行っちゃってるし……はぁ。寂しいけれど、仕方ないかしら)


 内心でため息をつきながら、弁当箱のふたを閉じる。

 病み上がりということもあってか、食欲がわかなかった。


 大好きな母親の手料理を残すことには気が引けたが、食べられないのは仕方がない。カバンに弁当箱をしまって、彼女はゆっくりと立ち上がった。


(さて……彼女は、どうしてるかしら?)


 横目で、教室の後方を確認する。

 廊下側の奥隅は、かつてしほが座っていたはずの席だ。

 しかし、今そこに座っているのは、胡桃沢くるりである。


(なるほど。あの子も、一人でお昼なのね)


 ピンク色の少女は、一人で寂しそうに菓子パンを食べていた。

 その視線は、頻繁に隣の席に吸い寄せられている。


(分かるわっ。いないって分かっていても、気になっちゃうのよね)


 胡桃沢くるりの隣は、しほの愛する中山幸太郎の席である。

 そして、胡桃沢くるりが好きな人の席でもあるわけで。


 好きな人の席が気になるのは、しほも同じだ。

 だからこそ彼女は、胡桃沢くるりの気持ちを理解してしまったのである。


(あら? あの菓子パン……幸太郎くんがよく食べているものね)


 加えて、恋敵の思いの強さを再認識して、しほは目を丸くした。


(ふむふむ。彼のことが好きなのは、事実……ということで、間違いないのかしら?)


 彼女の行動から仮定を作ってみる。

 しかし、それにしてはなんというか、違和感があった。


(この短い間で、あんなに好きになれるなんて……何かよっぽどのことがあったとかじゃないと、説明がつかないわ)


 たとえば、命を助けてもらったとか。


 そういう類の、運命的な出会いがあったのなら、あの思いの強さも納得ができる。


 だが、そんな話をしほは聞いていない。


(そんなに印象的な出来事があったのなら、幸太郎くんが私に話さないはずがないわ)


 だから、彼女は疑っている。


(果たして、胡桃沢さんは……本当に、幸太郎くんのことが好きなのかしら?)


 その思いは、本物なのか。

 彼女は、それを知りたがっていた――

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