第百九十一話 赦しと救い


 悪いことをして泣くという行為は、少しずるい気がする。

 自分に間違いなく非があるのなら、涙は卑怯な道具になる。


『加害者もこんなに辛い思いをしているんです。だから罪を軽くしてください』


 なんて、言っているように思えるのだ。


 悪いことをしたならば、やるべきことは『泣くこと』ではない。

 誠心誠意、謝ること――ただ、それだけだ。


 しかし、俺は卑怯にも泣いていた。

 しほの優しさに、我慢できなくなって……気付いた時には、耐えられなかった。


「え? あ、ゃ? こ、幸太郎くん……泣いてるの? そんな、泣くなんて、ダメよっ。私まで泣いちゃいそうになっちゃうのにっ。よしよし、もう大丈夫だからね? 私がとなりにいるからね?」


 まさか俺が泣くとは思っていなかったのだろう。

 しほはそばに寄り添って、なだめるように背中をさすってくれた。


「ちが……これは、そのっ」


 慌てて、涙を拭う。

 そんなつもりなかったのだと、必死に泣いてないふりをしようとする。

 だけど、涙が止まらない。拭っても拭っても、次から次へと溢れ出てきた。


「こらこら、そんなに強くこすっちゃったら赤く腫れちゃうわ……大人しくしてて? 私のハンカチで拭いてあげるからね? もう、泣くのはこっちの役目なのに、私の特技を奪わないでっ」


 冗談めかしたことを言いながら、取り出したハンカチで彼女は涙を拭ってくれた。


 優しい手つきで、撫でるように。

 まるで、子犬が親犬に毛づくろいされているみたいで、なんだか恥ずかしかった。


 今の俺は、間違いなく子ども扱いされている。

 でも、それに文句を言うことはできない。急に泣き出されたら、誰だってこんな反応になってしまうだろう。


「もしかして、どこか痛いのかしら? 体調が悪かったりする? それとも、私が酷いことを言っちゃったとか? ねぇ、どうして泣いちゃったのか、教えて? その原因を、私がなくしてあげるからね?」


 ――違う。

 しほが悪いわけじゃないし、どこかが痛いわけでも、体調が悪いわけでもない。


 この涙は、苦しみによって流れ出たものではないのだ。


「しほが……優しいから」


 そのせいで、涙が溢れ出た。

 この子の優しさは、あまりにも温かくて……力が抜けてしまったと言うか、きつく縛っていた感情の紐が、緩んでしまったのである。


「ゆるしてくれるなんて、思っていなかった」


 傷つけると思っていた。

 俺のせいで、しほがイヤな気持ちになってしまうと思い込んでいた。

 だって、この子は俺のことを、心から愛してくれている。


 嫉妬しているだろうし、拗ねているだろうし、怒ってもいるはず――そうやって、決めつけていた。


 でも、彼女はその感情のいずれも抱かなかったらしい。


「そんなの、当たり前よ? だって、幸太郎くんが、私を傷つけるようなことを自分からするわけないもの。普段は確かに、ちょっとやきもちを妬いたりしているわ。でもそれは、半分は冗談みたいなもので……えっと、つまり私は、あまり頭が良くないけれど……あなたの気持ちが分からないほど、バカじゃないってことよっ」


 ……こういう時に、強く感じる。

 しほは本当に、真っ白な女の子だ――と。


 あまりにも澄んでいる。

 彼女の色は、髪の毛の色と同じで、透き通る様に綺麗なのだ。


 だから、俺のことを信じることができる。

 少しも疑っていないから、今みたいな状況になったとしてもなお、欠片ほどの悪い感情を抱いていない。






「幸太郎くんが、私以外の人間を好きになるわけないわ」






 そして、彼女の言葉には自信が溢れている。

 俺のように、卑屈に謙遜するような情けない真似を、しほはやらない。


「私が大好きな人があなたであるように……あなたが大好きな人は、私だと決まっているもの。他の女の子と何をしていても、関係ないわ。私は、幸太郎くんの愛を、知っているから」


 懺悔の告発に対して、しほは慈悲深き優しい心で、赦しを与えてくれた。

 それで罪が軽くわけではない。


 でも……胸が軽くなったことは、事実だった。

 やっぱりしほは、俺にとっての恩人である。


 辛い時、苦しい時、いつもこの子は俺を助けてくれるのだ――

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