第百八十九話 あなたの苦しみの半分を背負わせて?

 連れてこられたのは、いつもおなじみの校舎裏だった。

 常に人がいないこのエリアは、俺としほにとっては居心地がよく、何かあるたびにここに来ていた。


 約一週間ぶりだけど、いつも通り誰もいない。

 特に今は早朝なので、誰かが来る心配はなかった。


「大丈夫? 幸太郎くん、寒くない?」


 ただ、外なので気温が低く、寒くないと言えば嘘になるだろう。

 おかげで人が来る可能性はほとんど皆無だが、長居したいとは思えないくらいに凍えている。


 そういえば今日はコートを持ってくるのを忘れた。

 いや、制服と一緒に胡桃沢さんの家に忘れていたのだ。そのせいで余計に寒かった。


「うむむ、少し震えてるかしら? なんだかとても寒そうね……」


 しほは俺と違って、ちゃんと温かそうな恰好をしている。

 制服の上からコートを羽織り、更にマフラーも手袋も着用して、徹底的に防寒していた。病み上がりなので、母親のさつきさんが念を入れたのか、コートの下にも何やら着ているような気がする。


 その影響か、しほはやけに着ぶくれしていて、どこか動きがぎこちない。コミカルな動きは、普段であれば笑うことができただろうけど、今はそんな気分になれなかった。


「ねぇ、やっぱり校内に戻る?」


「いや……大丈夫」


 ゆっくりと首を横に振る。

 ふと顔を上げると、こちらを心配そうにのぞき込むしほの顔が見えた。


 一瞬、目が合う。

 とても澄んだ目だった。それが見ていられなくて、俺はすぐに目をそらしてしまった。


 ダメだ、彼女を直視できない。

 目を見るたびに、話しかけられるたびに、心配されるたびに、胸が痛くなる。


 罪悪感のせいで申し訳ない気持ちが溢れしまい、何も言えなくなってしまうのだ。


「むぅ……なんか心配だから、おてて出して? 私の手で温めてあげるわっ。幸太郎くんは知らないかもしれないけれど、私って結構体温が高いのよ?」


 ……いや、知ってるよ。

 君の体がポカポカしていることは、分かっている。

 だって、何度も触れ合った。手をつないだこともあるし、抱き合うこともあった。


 まるで幼い子供みたいに体温が高いことも、知っている。体験している。

 だから、その生々しい感触を思い出して……無意識に、一歩後ずさっていた。


「…………え?」


 しほが、驚いたように目を丸くする。

 俺の手を掴もうと差し出された手は、寂しそうに揺れていた。


「やっぱり……幸太郎くん、いつもよりちょっとだけ変だわ。まるで、えっと……そんなことありえないと思うし、別に何かを疑っているわけではないのだけれど、なんか……私を、さけているみたい」


「――っ」


 核心を突かれた言葉に、息が詰まる。

 無言は、肯定も同義だ。しほはそんな俺の様子を見て、少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。


「どうかしたの? ねぇ、幸太郎くん……何かあったのでしょう? 何も言わなくても、分かるわ。だって、あなたをずっと見てきたもの。あなたのことを誰よりも考えているもの。分からないわけ、ないじゃない」


 彼女はずっと、俺を見てくれていた。

 だから、もしかしたら俺よりも、彼女は俺のことを知っている。


「……音がね、変なの」


 あと、しほは異常に感覚が鋭い。

 聴覚が特に発達していて、常人にはない独特な感覚を有している。


「私が調律した……私だけの大好きな音色が、歪んでいるの。優しくて、温かくて、味のある素敵な音が、穢されているの」


 相変わらず、独特の世界観を軸に語られる表現は、凡人の俺には理解できなかった。

 だけど、なんとなく、しほが怒っていることは理解できた。


「私の大切な宝物に触れたのは、いったい誰かしら? かわいい私のヤドリギを折ろうとしている無礼者がいるわ……ああ、可哀想な私の小枝。辛そうに苦しんでいるのね? もう、無理しないでもいいの。幸太郎くん……お願いだから、私に全部聞かせてちょうだい?」


「しほ……っ」


 不意に、泣きそうになってしまう。

 優しい言葉に、涙が溢れそうだった。


 しほはやっぱり、俺を助けてくれる。

 誰よりも近くで、俺を支えてくれる。

 それが、嬉しくて嬉しくて、仕方なかった。


「幸太郎くん……私に、あなたの苦しみの半分を、背負わせてくれないかしら?」


 その言葉で、決壊した。


「――――!」


 思考を支配していた霧が、一気に晴れる。

 気付いた時には、爆発していた。


 もう止まらない。

 俺は、この一週間の出来事を、全てしほに打ち明けてしまったのである――

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