第百八十五話 胡桃沢くるりは諦めない
「ごめん、そんなこと俺にはできない」
ハッキリと、そう言った。
『二番目でも三番目でもいいから愛してほしい』
そう告白されたのだが、当然ながら受け入れられなかったのだ。こんなことを容認してしまったら、俺が嫌いなハーレム主人公になってしまう。
「ごめん」
再度、謝る。
胡桃沢さんのことを直視できずに、視線をそらした。
申し訳ない気持ちはあるが、やっぱりこれだけは許容できない。
「……そっか」
対して、胡桃沢さんはやけにあっさりしていた。
ようやく体を起こしたかと思ったら、ゆっくりと立ち上がって、俺の方に笑顔を向ける。
「そういうことなら、仕方ないね」
まるで、やることはやった――と、そう言わんばかりの清々しい笑顔である。
「私の気持ち、聞いてくれてありがとう」
「……い、いや、なんかごめん」
謝りながらも、内心では首を傾げてしまう。
先程、あんなにも痛々しかったというのに、今はその気配が消えていたのだ。
すがりつかれるかと思った。
泣いたり、怒ったり、悲しんだりするものかと考えていた。
だけど彼女は、笑った。
しかも、空元気ではない。無理矢理な笑顔でもない。
まるで、宝くじを外した時みたいな……『やっぱりダメだったかぁ』という表情だったのである。
それがすごく引っかかった。
ついさっき、あんなにも切ない表情を浮かべた少女の切り替え方ではない。
でも、疑ったところで意味などない。むしろ、こうやって諦めてくれた方が、俺にとっては都合がいいのだ。
「伝えたいことは、伝えられた。これでスッキリしたわ……じゃあ、おやすみ」
彼女はそのまま、部屋を出て行った。
見えなくなるまでその後ろ姿を追いかけていたけれど、最後までその足取りは軽く、無理をしているようにはまったく見えなかった。
「……おやすみ」
一人で呟いて、ベッドに倒れ込む。
微かに胡桃沢さんの温もりが残っていて、その部分には触れないように体の位置をずらした。
(これで、終わりなのか……?)
違和感が強い。表現できない不安を感じていた。
あの強烈な告白にしては諦めが早いというか、物分かりが良すぎる気がする。
(……まぁ、いくら考えても仕方ないけど)
結局、答えなどない。
終わりのない自問自答をしていたところで意味などないのだ。
(ちょっと早いけど、もう寝るか……)
時刻は23時。普段ならもうちょっと起きているのだが、今は何もやることがないので、さっさと部屋の電気を消すことにした。
掛け布団をかぶって、目を閉じる。
やっぱり寝具も高級なのか、とても寝心地が良くて、すぐに意識が霞んできた。
もう少しだ。
朝起きて、朝食をご馳走になって、学校に行って、それからもう一度家庭教師をして、契約の期間は終了となる。
泊まることになった時にはどうなることかと危惧したけど、思った以上に変な出来事は起きなかった。
これ以上のハプニングはもうないだろう。
だから、大丈夫。そう信じて、俺はゆっくりと眠った――
――でも、やっぱり、胡桃沢くるりは諦めが悪かった。
彼女はそんなに物分かりがいい人間なんかじゃない。
自分の恋愛を成就させるためなら、何でもやると決めているような、肝の据わった少女なのである。
告白して、振られた程度で身を引くと思っていた俺がバカだった。
「…………ん?」
寝ていた時のことだ。
ふと違和感を覚えて目を開ける。最初は真っ暗で何も見えなかったが、少しずつ目も慣れていって、周囲が見えてきた。
そうだ、俺は胡桃沢さんの家にいた。ふかふかのベッドで寝ていて、それから……っ!?
不意に、気付く。
ベッドにいるのは、俺だけじゃない。
すぐ近くに、誰かがいた。
「……中山、ごめん」
その少女は、まぎれもなく胡桃沢くるりだった。
彼女は添い寝するように俺の隣で横になっている。
それから、何をするの以下と思ったら、唐突に俺に身を寄せてきて……そのまま、頬に唇をつけた。
「――っ」
それは、キスだった。
不意に仕掛けてきた行動に対して、俺は息をのむ。
こみあげてきたのは、罪の意識。
しほに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになったのである。
ああ、やられてしまった。
これだけは警戒していたのに、まんまと策にハマってしまった。
こんなことをされたら、こう思わざるを得ないのだ。
(しほ……ごめん)
罪の意識に、囚われる。
胡桃沢さんの残した爪痕が、心を深く抉っていた。
さぁ、ここから物語は転調する。
長い長い前口上がようやく終わったのである――
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