第百八十四話 健気な祈り

 俺が寝るはずのベッドに、胡桃沢さんが横たわっていた。

 彼女の重みによってベッドが沈み、体が微かに彼女の方へと傾いている。何かの拍子で俺まで倒れてしまいそうで、怖かった。


「っ……」


 あえて過剰に力を入れて、態勢を崩さないように意識する。

 そうでないと、彼女に重なるように寝そべりそうだと思ったのだ。


 今の状況であれば、そうなってもおかしくない。いわゆる『ラッキースケベ』というやつだ。

 ラブコメの神様が悪さをしている今、最大限に警戒しなければならないのである。


「中山、あのね……この一週間、楽しかった」


 余裕のない俺とは違って、胡桃沢さんは落ち着いていた。

 平常心というか、冷静というか……いや、違う。この感じは『腹をくくっている』と表現できるかもしれない。


 覚悟を感じた。

 胡桃沢さんは、今が最後のチャンスだと考えて、この場面に臨んでいるように見えたのだ。


「中山は要領が悪いけど、一生懸命勉強してて、そういうところが素敵だった。ひたむきに頑張るあなたを見ているだけで、とても幸せだった」


 横たわる彼女は、寝返りを打つように体を傾けて、俺の方を見る。


「まるで、夢みたいな時間だった」


 一つ一つ、文章を区切りながら感想を紡ぐ。

 感想文に書かれた文字をそのまま読んでいるような、単調なセリフだ。でも、そこに宿る感情の熱量は凄まじく、機械的な言葉とは言えないから、不思議である。


「だから、ありがとう……まずは、お礼を言わせて? こんなに幸せな時間をくれて、とても嬉しかった」


 感謝を告げられても、困る。

 別に、胡桃沢さんのためにやったわけじゃない。

 色々と都合が悪くなって、状況的にそうせざるを得なくなったから、仕方なくこうしただけだ。


 でも、胡桃沢さんはそんなことどうでもいいのだろう。

 とにかく、俺と一緒に時間を過ごせた――それだけで彼女は喜んでいたのだ。


 信じられないのだが、胡桃沢さんはどうやら『幸せ』だったらしい。


「もう、この時間が二度と訪れないのかと思うと、胸が痛くなるわね」


 だから、彼女は懇願するように……ではないか。

 胡桃沢さんは、何かに祈るような態度で、こんなことを言った。




「だから、少しだけ……中山の愛を、分けてくれたら嬉しいなぁ」




 最後の最後で、彼女は思いのたけをぶつけてくる。


「一番じゃなくてもいい。二番目でも、三番目でも、大丈夫。ほんの少しだけ……中山の心の一部だけでいいから、そこに私をいさせてほしいの」


 その言葉に、俺はすぐに返事をすることができなかった。


「…………」


 口を閉ざして、歯を食いしばる。

 ああ、やっぱりそうだったんだ。

 薄々感じていた、胡桃沢さんの愛情は……やっぱり歪んでいた。


 純粋に、よどみはなく、穢れのない思いではあるけれど、そのベクトルが普通ではない。


 二番目でもいい?

 三番目でも大丈夫?


 そんなの、おかしい。

 一番に愛されないのであれば、意味などないはずだ。

 少なくとも、俺の好きな恋愛の形に、愛の対象は一つしかない。


 だけど、たった一つだけ……俺が嫌悪する恋愛の形であれば、愛に順番をつけることもできるだろう。


 それはいわゆる『ハーレム』と呼ばれるものだった。


 胡桃沢くるりは、自らハーレムヒロインになろうとしているのだ。

 それこそが、彼女にとっての恋愛の形らしい。


 何番目だろうと構わない。愛の見返りが割に合わなくてもいい。思いが報われずとも問題ない。


 ほんの少しでも愛してくれるなら、自分の全てを捧げる――その覚悟を感じて、無意識に自分の胸を押さえた。


 健気な祈りにも似た一途な願いは、やっぱり見ていて痛々しい。

 かつての梓やキラリと同じように、今の胡桃沢さんも見ていられなかった――


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