第百八十三話 無防備すぎる少女
どうしてこんなにも間が悪いのだろう。
たとえば、スマホが取り上げられていなかったとしたら、土地勘がなくても問題なく帰宅できたはずだ。
そもそも、しほがインフルエンザになったタイミングで胡桃沢さんが仕掛けてきたのも不自然だ。
もっと言うなら、そんなタイミングで母の経営している会社の状況が悪くなっていて、機嫌も損ねていて、たまたま胡桃沢さんの親が資産家で――などと、考え出したらキリがない。
あまりにも『都合が悪すぎる』。
いや、違うか。
今の状況は『都合がいい』のだろう。
物語を面白くするために、今の状況はとても都合がいいのだ。
ずっと一強だったメインヒロインの牙城を崩し、テコ入れのサブヒロインという立場にありながら、メインヒロインと遜色ない扱いを受ける胡桃沢さんに、俺がどう向き合うのか。
彼女を傷つけてでも一途にしほを愛すると決めたら、それはそれでいいのだろう。
あるいは、胡桃沢さんの思いに折れて、その愛を受け入れてしまったら、そこでまた新たな展開が生まれる。
とくに後者は、俺が最も嫌悪する『ハーレムルート』なので、どうにか回避したい。
しかし、胡桃沢さんの思いを拒絶するのは、とても難しかった。
「中山、ちょっといい?」
夜、彼女に家に泊まることになって、寝るための客室に案内された。
その後、シャワーを浴びて、冷静さを取り戻したところで、胡桃沢さんが部屋を訪れたのである。
「……うん、ちょっとだけなら」
用意された着替えは、真新しいジャージである。
サイズもちょうど良いので、恐らくは俺のために購入したのだろう。
この部屋も綺麗に掃除されていて、ベッドのシーツも新品みたいにしわ一つなかった。
そういうところを観察すると、胡桃沢さんはやっぱり最初から俺を泊めようとしていたことが分かる。
「えっと……もうお風呂は入った?」
会話のとっかかりを探すように、彼女は当たり障りのないことを聞いてくる。
どことなく、怯えているようにもみえた。
申し訳なさそうにしているのは、多少なりとも俺を策にハメた罪悪感があるからかもしれない。
「うん、入った」
短く答えて、ベッドに座る。
そのまま横になりたかったけど、さすがに胡桃沢さんの前でそこまで無防備にはなれない。
「そっか。私も、さっき入ってきた」
そう言いながら、彼女は恐る恐ると言わんばかりにゆっくりと部屋に入ってきた。
言葉通り、お風呂上がりのようで……ピンク色の髪の毛が微かに湿っていた。ドライヤーで乾かしきる前に、俺のところにきたみたいだ。
髪色に揃えたのか、ピンク色のパジャマもよく似合っている。冬ということもあって、モコモコとした温かそうな素材の衣服を着用していた。
ただ、サイズがピッタリなのか、もともとそういう構造なのかは分からないが、体のラインが一目で分かるようなパジャマだったので、少し居心地が悪い。
目のやりどころに困って、視線を下げる。
その時に、ふと気付いた。
(ダメだ……いつも通りじゃない)
動揺している。
困惑している。
普段とは違う胡桃沢さんの姿を直視できないくらい、感情が荒れている。
どうしていいか分からない。
だって、胡桃沢さんは……あまりにも無防備すぎる。
「隣、座るね」
ほら、こうやって近寄ってくる。
お風呂上りのせいか、胡桃沢さんから甘い匂いが漂っていた。いつもは二つに結んでいる髪の毛も、寝る前だからなのか真っすぐに下ろしている。
俺にだけ、特別な姿を見せてくれているのだ。
だいたい、深夜に男性の部屋を訪れるというのも、どうかしている。
「ふぅ……」
更に彼女は、俺のベッドに寝ころんだ。
わざとらしく、仰向けで横になる。俺との距離はわずか十センチ程度で、手を伸ばせば余裕で彼女に触れることができた。
もし俺が普通の人間であれば、この状態の胡桃沢さんを放っておいただろうか。
『あなたになら、何をされても構わない』
そんなメッセージを感じてしまった。
俺のことを信頼しているから、なのか。
あるいは、誘惑しているのだろうか。
真実は分からない。
でも、とにかく分かると言うことは……胡桃沢さんが、最後のアプローチを仕掛けようとしていること。
いったい、何をするつもりなのだろうか。
果たして今の俺がうまく対処できるのか。
それがものすごく、不安だった――
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