第百八十一話 最後の仕掛け

 胡桃沢さんと契約してから、六日目が終わった。

 明日で全てが終わる。しほもそろそろ回復して登校してくれるだろうし、スマホも戻ってくるので、彼女とのやり取りも増えるだろう。


 その代わりに胡桃沢さんとの関わりはほとんどなくなるはずだ。

 主人公という立場に置かれて、色々あった……だけど、致命的なほどの変化はなかった。


 あと一日、やり過ごしたら全てが終わる。

 色々と思い詰めたこともあったけれど、だからこそしほという少女への愛を確かめることができた。


 それでもう、いいんだ。

 山もなく、谷もなかった、凪のように平穏でつまらないラブコメだったかもしれないけれど、多少の苦難がいいスパイスとなってくれただろう。

 ラブコメの神様だって、満足してくれたはずだ。

 だからこれ以上は何もないと思う。


 そう信じて、俺は家庭教師としての六日目を過ごしていた。


 まぁ、正確には家庭教師ではなく、胡桃沢さんに勉強を教えてもらっているだけに過ぎないのだが。


「テストもそろそろ始まるし、サボったらダメよ? 中山はあんまり成績が良くないし、がんばって母親を見返さないといけないんだから」


 ただ、不気味なのは……胡桃沢さんの態度にも変化がないことである。


「油断さえしなければ、今の中山なら大丈夫だと思う。自信をもって望んでね? だって、この私が教えてあげたんだから、平均点くらいは取ってもらわないと困るわ」


 もう日も暮れた。

 そろそろ帰宅する時間帯である。

 いや、今日もまた夕食をごちそうになるかもしれないか。

 それでも、明日いっぱいで契約は終わるのだ。終わりが目の前に見えているのだから、何が起きても耐える自信があった。


「ああ、勉強に関しては教えてくれてありがとう。色々と、学ばせてもらったよ」


「……別に、褒めてほしいわけじゃなかったけど。まぁ、うん。そう言われるのも、満更ではないかも」


 素直じゃないことを言っている割には、顔がニヤけていたので感情を隠し切れてはいなかった。


「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」


 立ち上がって、カバンを手に取る。

 しかし胡桃沢さんが、ひったくるように俺からカバンを取り上げた。


「ダメよ。今日も夕食を食べていって? 最後の夕食になるから、とびっきりのご馳走をたくさん用意したのよ? 少し準備に時間がかかるけど、食べていってくれたら嬉しいわ」


 ……やっぱり、そうなったか。

 一応、予想はしていたので、苦笑しながら頷くほかなかった。


「最後だからな……うん、ありがたくご馳走になるよ」


 素直に従って、胡桃沢さんの部屋を出ていく。もう食堂の場所も覚えたので、彼女に先導されずとも到着できた。


 ただ、いつもなら既に食事ができあがっていたけれど、今日は入念に準備しているみたいで、まだ料理が完成していなかった。


「うーん、やっぱり少し遅れるみたい。中山、大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ」


 どうせ、帰りは胡桃沢家の使用人さんに送ってもらうので、何時になっても構わない。

 そう思っていたので、気長に待つことにした。


 胡桃沢さんと軽い談笑をして、だいたい三十分くらいだろうか。

 お腹も減ってきたところで、ようやく食事の準備が整った。


「今日はね、なんかすっごく美味しいカニが入ったんだって。あ、中山は甲殻類にアレルギーとかある?」


「いや、大丈夫。でも、カニなんて随分久しぶりだなぁ」


 子供の頃、両親と一緒に暮らしていたころは、外食もたまに行っていた。

 その時に何度か食べた気もするけれど、記憶にその味はなかった。


 カニ鍋も用意してくれていたので、ありがたくいただいた。冬ということもあって、温かい食べ物が本当に美味しい。

 ただ、カニは食べるのに時間がかかるので、食事が終わった時にはもう二十一時手前だった。


 いつもより一時間くらい遅い時間帯である。


「ごちそうさま」


「ええ、お粗末様。じゃあ、そろそろ帰りの車の準備を……」


 胡桃沢さんがあまりにもいつも通りだったから、俺はすっかり油断していた。

 何事もなく、今日という一日も終わるのだと思っていたのである。


 でも、契約期間は明日を残すのみとなったわけで。

 そんなタイミングで、胡桃沢さんが何もしないはずがなかった。


「……え? あらあら、そんなことになってるなんて」


 帰ろうと思って、玄関までやってきた。

 でも、いつも運転してくれる使用人さんが、胡桃沢さんに何かを耳打ちしていた。


 それがなんというか、不自然に見えて……どことなく演技くさい言動に、眉をひそめる。


 だが、警戒しても既に遅かった。


「中山、ごめんね? 車、急に故障しちゃったみたいで、動かないんだって」


「…………え?」


 最後の最後で、胡桃沢さんは仕掛けてきた。

 それにまんまとハマってしまった俺は、目を見張ることしかできなかった――

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