第百六十四話 なりふりかまわず

 校門の方から、胡桃沢さんがさっそうと歩いてくる。

 頭を下げる叔母と、その隣で佇む俺をまっすぐに見据える彼女は、きっとこの場面がくることを分かっていたのだろう。


 これは、仕組まれた遭遇だ。

 胡桃沢くるりが、ついに仕掛けてきたのである。


「お待ちしておりました、お嬢様」


「お嬢様だなんて、大げさじゃない? 私は普通の女の子よ?」


「ご謙遜を……少なくとも、私のような一般人とは比べ物にならないので」


 俺が知らないだけで、胡桃沢さんの家は業界で相当な有名人みたいだ。


「お父上とは先程、お話をさせていだきました。あとは、お嬢様の意思に任せる、とのことです」


「ふーん? 相変わらず、言うことは聞いてくれるのよね。普段は顔もほとんど合わせないくせに……こうやってたまにわがままを聞いてやれば、父親として仕事を果たしたつもりになれているんでしょうね」


「私の立場からそのお言葉に賛同するのは難しいです」


 普段は言動の粗い叔母さんが、腰を低くして胡桃沢さんと言葉を交わしている。顔には愛想笑いの張り付いていた……仕事だと割り切って年下の女の子にだろうと頭を下げるあたり、流石である。


「それでは、参りましょうか」


「ええ、分かったわ。運転、お願いね?」


「はい、お任せを……幸太郎、乗れ。行くぞ」


 二人だけで話を進めているかと思ったら、今度は俺の意思を無視してどこかに行こうとしていた。


 もちろん、素直に言うことを聞くほど俺は簡単な人間じゃない。


「どこに行くのか、何がしたいのか、どういう繋がりで二人が話をしてるのかは、分かりませんが……俺が行く必要を感じません」


 抵抗したが、しかし俺の意思は次の一言で踏みつぶされた。


「これは私の意思ではない。幸太郎、お前の『母親』の指示だ」


 ――その言葉で、脳裏に母の言葉が浮かぶ。


『もうあなたには何も期待しない』


 失望の一言は、未だに忘れることなく心に刻み込まれている。


「っ……」


 体が、すくんだ。

 喉が詰まり、思考が鈍って、不意に気分が悪くなる。

 幼少の頃のトラウマに体が拒絶反応を起こしているのかもしれない。


 そんな俺に追い打ちをかけるように、胡桃沢さんが現状を説明してくれた。


「中山、ごめんね? あまり良い気持ちではないかもしれないけど……私の父って、結構な有名人なの。今回はその力を使わせてもらったわ」


「……どういうことだ?」


「あなたのご両親が経営している会社、ピンチなんですってね? そこにいる一条千里さんが、うちの父が経営している会社に助けを求めてきたのよ。だから、今回はそれを利用して……私とあなたに、強引な『繋がり』を作ったってわけ」


 話の内容はどこか抽象的だった。

 具体的にどういった流れがあって、胡桃沢さんと叔母さんが知り合ったのかも、分からないのだが……とにかく、彼女が何かを画策して俺との接点を作ったということだけは、分かった。


「父の力を使うのは、本当はあまり好きじゃないの……でも、前に言ったでしょ? どんな手段を使ってでも、私はあなたの『特別』になりたいから」


 覚悟の込められた一言が、俺にぶつけられる。


「あなたへの思いが実るのなら……そのためになら、どんな汚い手でも使うわ」


 なりふりかまわず、彼女はがむしゃらに恋と向き合っている。

 そんな強い思いに対して、揺らいでしまっている今の俺では、対抗することができなかった。


 結局俺は、これ以上の反論もできずに、叔母さんの車に乗り込んでしまう。


 この時にやっと、ラブコメに変化が生まれた。


 ついに俺としほの物語が動いたのである――

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