第百六十二話 甘美な毒

 ――北条結月は、今の現状に満足していた。


「龍馬さん、お食事を作ったのですけれど……何かお食べになりますか?」


 放課後、竜崎家の台所に立って、夕食を作る。

 分量は二人分だけだ。前までは、少なくとも3人以上の女の子が常にこの家にいたが、もう北条結月しかこの家に訪れていない。


 その理由は、竜崎龍馬がモブキャラになってしまったからである。


「要らない……ってか、結月も来なくていいんだぞ? 夕食は、適当に自分で用意できるんだが」


 リビングにいる彼は、ニュースが流れるテレビ画面を眺めながら感情のない声を発した。もうすっかり日も暮れているというのに、電気すらついていない。


 暗い部屋で、竜崎龍馬は無気力に過ごしている。

 このところ、見慣れた光景だった。


 北条結月はそんな彼に、しかしなおも優しい言葉をかけ続ける。


「いえ、食欲がないのであれば問題ないのです。ただ、もしお腹が空いたら、どうぞ食べてください……明日までに残っていれば、捨てて作り直しますからね?」


 行動の見返りも彼女は求めない。

 どんなに冷たくても、関心を寄せられなくても、献身的な思いが報われずとも……北条結月は、それで満足していた。


(いつか、前みたいな龍馬さんに戻ってくれると、いいですけれど……)


 少なからず、その思いはある。ずっと献身的に尽くしていれば、いつか思いが届いて、竜崎龍馬も目を覚ましてくれるかもしれない――と、そういう期待もしていた。


 でも、最悪……彼女は、そうならなくてもいいと、思っていた。


 なぜなら、


(今だけは、わたくしだけの龍馬さんでいてくれるから)


 今の彼を愛せるのは、自分だけ――その感覚に、北条結月は満たされていた。ずっと特別になれなかった自分が、ようやく唯一の存在になれたのだ……それが本当に、心地よかった。


 報われている気がした。

 今まで、献身的に尽くしていた思いが、実った気がした。


 このまま最後まで行くのなら……ハーレムの勝者は、北条結月になる。今の竜崎龍馬を愛せるのは、彼女だけである。


(わたくしが……龍馬さんの一番に、なれるっ)


 ようやく見えた一筋の光明に、北条結月は心を躍らせていた。

 正直なところ、諦めかけていた……モテモテな竜崎龍馬の周囲には魅力的な女の子がたくさん集まる。彼女では到底及ばないような女の子ばかりで、勝ち目なんてないと思っていた。


 だから彼女は尽くすことしかできなかった。なんとか食らいついて、竜崎龍馬の寵愛を少しでも受けようと必死だった。


 そんな時に垣間見えた勝ち筋に、北条結月が飛びつかないわけがなかったのである。


 特別な存在になれるのであれば、どんな竜崎龍馬でも、愛する――そう決意した少女は、揺るがなかった。


「……いつも、ありがとう」


 そんな北条結月の思いは、少しだけ報われる兆しを見せた。

 ずっと素っ気なかった竜崎龍馬が、久しぶりに嬉しいことを言ってくれたのだ。


 ダメな俺を受け入れてくれて、ありがとう――そう言われているような気がして、北条結月は頬を緩める。


「いいえ、気にしないでください……どうなろうと、わたくしがずっとそばにいますからね?」


 ダメなままでもいい。


 ただ、自分が特別になれるのであれば、どうだっていい。


 その『甘やかし』が毒となり、竜崎龍馬の回復を妨げる。

 彼は時間が経とうと、相変わらずモブキャラのままだった。北条結月に甘やかされて、こんな自分でもいいのだ……と、現状に甘えてしまったのだ。


 このままだと、竜崎龍馬は朽ち果てる。


 誰も彼を叱咤するような人間はいない。


 唯一、そばにいたのは……かつて、一人の少年を『モブキャラのままでいい』と思い込ませた、北条結月だけなのだ。


 もう、竜崎龍馬は終わっていた――



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