第百六十一話 大好きという言葉

 叔母さんは俺を家まで送った後、何も言わずにそのままどこかに行ってしまった。


 珍しくタバコを吸う手を止めて考え込んでいたけれど……いったい、どんなことを考えていたのやら。


 ちょうど、胡桃沢の話題から何も言わなくなったところが不気味だった。

 これからまた何か予想できないことが起きそうだ……そのことを考えると憂鬱になる。


 ただ、いつまでも落ち込んではいられない

 やっぱり俺が気になっていたのは、しほの体調である。


 なので、家に帰ると早速、彼女に電話した。

 未だメッセージの返信がこないので、もしかしたら今も寝ている可能性があるけれど。


「…………」


 しばらく、コール音だけが鳴り響く。

 普段はスマホを片時も手放さないあの子が、電話に気付かないくらい容体が悪いみたいだ。


 今はそっとしておくしかないのかもしれない……そうやって、諦めかけたその時、不意に電話がつながった。


「もしゅもしゅ……誰ですかぁ? 私はしぃちゃん、3ちゃいです」


 そして思いっきり寝ぼけていた。

 まずい、起こしちゃったみたいだ……でも、彼女の声を聞くことができたのが嬉しくて、すぐに電話を切ることはできない。


「もしもし、えっと……中山ですけど」


「なかやまぁ? だぁれ? しぃちゃん、しらなーい」


 うーん、風邪と寝起きという要素が組み合わさって、しほは幼児退行しているみたいだ。


「中山幸太郎だけど……ごめん、寝起きだったか? 電話、切ろうか?」


「んー? こうたろー? ……こうたろうくん? あ、幸太郎くんかぁ」


 ようやく意識も覚醒しつつあるらしい。俺のことを思い出してくれたようだけど、まだ言葉は舌ったらずだ。


 体調も悪そうなので、もしかしたら意識もぼんやりしているのかもしれない。でも、声が聞けて良かった。


「ごめんな、大丈夫かなって心配で……」


「心配なの~? えへへ、ありがとっ。しぃちゃん、うれしー」


「……しぃちゃん、何歳だっけ?」


「3ちゃーい」


 ……あれ? ふざけてるだけなのか?

 よく分からないけど、たぶん体調不良でテンションもおかしいのだろう。


 あまり長電話は、良くない気がした。


 まぁ、しほの声を聞けたので、気分も楽になった。

 胡桃沢さんと話していた時の自分が嘘みたいに、今は心が落ち着いている。


 でも、いつまでもこうやって、しほに甘えるわけにはいかないか。

 彼女がいないと何もできない人間になんて、なりたくない。


 最近、どうもしほに頼ってばかりな気がして、急に自分が恥ずかしくなった。


(しほも体調が悪いみたいだし、もうちょっと自重しないとなぁ)


 そんなことを思うのだが……それでも、やっぱり彼女の声が聞けないのは寂しいことである。


 それくらい、俺にとってしほは大切な存在になっていたのだ。


 改めて、思う。

 俺はしほのことが本当に大好きなんだ――と、不意に気持ちが溢れてきた。


 だから思わず、こんなことを言ってしまったのだろう。


「しほ、大好きだよ」


 何の脈絡もない告白だった。

 無意識にあふれ出た言葉だけど、不思議と動揺はない。

 ただ本心を口にしただけだから、それも当然だ。


 この告白に対して、別に答えが欲しかったと言うわけじゃない。

 ただ、しほが何て言うのかは、気になった。


「……ば、ばかっ」


 すると、彼女は途端に慌てふためいていた。

 電話越しで急に息遣いが荒くなる……彼女の感情は分かりやすい。


「赤ちゃんごっこで幸太郎くんをドキドキさせようと思ってたのにっ……逆に私をドキドキなんてさせないで!」


 ……なるほど。どうやらさっきは、ふざけていただけみたいだ。


「これ以上ドキドキしたら、死んじゃいそうだわっ。けほっ、けほっ……ほら、興奮してまた頭がくらくらしてきたもんっ! 幸太郎くんのいじわる」


 愛らしいことを言いながらも、しほの乾いた咳に胸が痛くなる。

 あんまり無理をさせても、体調が悪化しちゃうだろう……今日は、この辺にしておこうと思った。


「ご、ごめんな? 急に変なことを言って……じゃあ、そろそろ切るよ。しほ、ゆっくり休んでてくれ」


「……うん、そうするわ。本当は、もっと話していたかったけれど……ごめんね? でも、嬉しかったわ。ありがとっ。また、元気になったら、たくさんイチャイチャさせてね? じゃあ、バイバイ……っ」


 そう言って、しほはすぐに電話を切った。寸前にまた咳をする気配を感じたので、たぶんその音を聞かせないために切ったのだろう。


 俺に心配をかけまいとしてくれているのだ……そうやって、しほも俺のことを思いやってくれる。


 だから、『好き』という言葉が返ってこなくても、彼女の思いは疑っていない。


 そう、分かってはいるのに……やっぱり、心のどこかで『好き』という言葉をほしがっている自分に気付いて、ため息をついてしまう。


(なんでこんなに、弱くなっちゃったんだろう……)


 しほに依存しかけている自分に、嫌悪感を抱きそうだった――

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