第百五十七話 胡桃沢くるりは恋をした

 ――もしかしたら、生まれて初めての感情だったのかもしれない。


(あ、好きかも)


 転校初日のことだった。

 クラスの前に立って自己紹介をするとき、たまたま彼と目が合った。


 その時に、胡桃沢くるりは理由もなくドキドキしてしまったのである。


(素敵な目だなぁ……)


 最初は、なんとなく気になった程度だった。

 他の人よりも目が澄んでいて、透き通るように綺麗な少年だと思ったのだ。


 もちろんそれは比喩表現で、実際に彼が美男子というわけではない。むしろ容姿のレベルでいうなら、中の中だろう。かっこいいとは決して言えないが、かっこ悪いと表現するのも抵抗があるような、そんな見た目である。


 ただ、彼は他の男子生徒よりも、圧倒的に澄んでいた。

 よどみのない少年の独特な雰囲気に、胡桃沢くるりは一瞬で心を奪われてしまったのである。


 だから、彼の隣の席を希望した。強引な手段だったが、無事に近づくことができて、胡桃沢くるりはとても喜んでいた。


(なんとか、お話したいなぁ)


 そう考えた彼女は、大胆にも少年のスマホを盗むという作戦を実行してしまった。


 いつもの彼女なら、そんなことは決してしない。人に迷惑をかけるような行動は慎むような、良識のある人間なのだが……あまりにも彼と話がしたかったので、思わずスマホを奪ってしまったのだ。


 それくらい少女は、彼――中山幸太郎に夢中になってしまった。


(私……なんか、おかしいかもっ)


 自分でも自分が変になっている自覚はあった。


 だけどそれは、心地良い感覚だった。生まれて初めて『生きている』ことを実感した。それくらい彼に好意を寄せていたのである。


 その感情は、放課後に彼と話をした後、一気に膨れ上がった。


(好きな人がいても、関係ないっ)


 話してみたら、彼には好きな人がいることを知った。


 だが、それでも胡桃沢くるりの恋心は萎えなかった。むしろ炎のように燃え上がったから、不思議だった。


(負けたくないっ)


 誰かは知らないが、中山幸太郎の寵愛を受ける少女に、対抗心を抱いた。自分の方が彼を幸せにできると、自信がみなぎっていた。


(中山に……愛されたい)


 彼の愛を一心に受けたい。

 そうなったら、どれだけ幸せなことだろうか――と、彼女は妄想するだけでニヤニヤしてしまうほどに、中山幸太郎を好きになっていた。


 他の男の子では、ダメだった。

 たとえば、顔がそこそこ良い、あの竜崎なんとかというクラスメイトでも、中山幸太郎には遠く及ばないと、彼女は感じている。


(あんなのとは、比べ物にならないなぁ)


 比較すること自体、間違っているとすら思っていた。

 だって竜崎なんとかは目が濁っている。感情がまるで感じられないし、なんだかモブキャラみたいで気味が悪かった。


 胡桃沢くるりは、綺麗な心の人間が好きだ。

 キラキラするくらい澄んでいて、透明な人間が好みである。

 たとえるなら、そう……邪気の一切ない『主人公』みたいな人間が、彼女は大好きなのだ。


 だから中山幸太郎を好きになってしまった。

 もう、この恋心は止められない。


(なんとしてでも、中山と仲良くなりたいっ!)


 朝、準備を終えた彼女は、そう決意して学校へと向かう。

 いつものようにピンク色の髪の毛をツインテールに結んで、自分に気合を入れた。


(初恋だもん……絶対に、勝ち取ってやる!)


 そうして彼女は、学校へと向かう。

 主人公の心を魅了して、自分が真のヒロインになるために……ラブコメの舞台へと、身を投じるのだった――

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