第百五十六話 未来のために

 電話越しでも、伝わってくる。

 霜月しほという少女の愛らしさに、悩みが吹き飛ばされる。


 12月、外は凍えそうなほど寒いのに、彼女の声を聞いているだけで、ポカポカと体が温かくなった気がした。


「幸太郎くん? あまり、一人で背負ってはダメよ? 何かあったらちゃんと私に頼るといいわっ。ほら、私ってなんでもできるでしょう? ママにもよく言われるの。『しぃちゃんはやればできる子よね』――って!」


 相変わらず、さつきさんは娘を甘やかしているらしい。

 おかげで何もできないポンコツな女の子になっているけれど、それがまた彼女の魅力なのだ。


 愛されて育った少女は、とても素敵な笑顔を浮かべる。

 俺みたいに放置された子供では到底浮かべることができないほどの眩しい笑顔に、何度救われたことだろうか。


 あの笑顔を前にすると、どんな悩みもバカらしくなる。

 ついさっきまで、母親のことで悩んでいたけれど……それも一瞬で吹き飛んでいった。


「しほ……俺の母親はさ、あまりいい母親じゃないんだ」


 だから、気軽に伝えた。


 俺の家庭事情のことを、しほにも知ってもらいたくなったのだ。

 心底悩んでいたら、きっと言うことはできなかっただろう。でも、しほが『一人で背負うな』と言ってくれたから、心が軽くなって、口にすることができたのである。


「しほの親みたいに、俺はあまり愛されなかったんだ……でも、そんな人間でも、俺は愛したい。大切にしようと、努力している。それは、なんでだと思う?」


「んー……家族だから、かしら?」


「うん。当たってる……でも、正確に言うと、そうじゃないかもしれない」


 正解だとは思う。実際に、叔母さんにはそう言った。

 でも、その真意は、もっと別のところにあったりする。


 それは――自分のためだった。


「俺……将来、もし子供ができたら、たくさん愛してほしいんだ」


 未来のことを考える。

 もし、このまま……大好きな人と添い遂げることができて、二人の間に宝物が生まれてきたとするならば


 その子に俺は、愛されたいし、愛したい。


「でも、そんな俺が、親のことを愛していなかったら……子供に『愛してほしい』なんて願う権利はないと思うんだ」


 自分は親のことを愛していないのに、子供には愛してほしいなんてわがままを言えるほど、俺は感情を割り切れない。


 もともと、自己肯定感の低い人間だから……きっと、そのことを一生引きずるだろう。自分は親を愛さなかったのに、愛される権利なんてないと、またしても自分を否定してしまうのだ。


 だから俺は、筋を通す。

 どんなことがあっても、家族だけは愛すると決めている。


 それは、誰のためでもない。

 俺のために、そうしているのだ。


「どんな扱いを受けていても、俺は子供として親を大切にするよ……ごめんな、急にこんなことを言って。意味が分からないだろうけど、聞いてくれてありがとう」


 決意を固めるために、あえてしほにそう伝えた。

 きっと彼女にとっては意味不明な発言だっただろう。

 でもそれを、彼女は受け止めてくれた。


「いえいえ。むしろ、言ってくれて嬉しいわっ……何があったかは分からないし、言いたくないなら聞くつもりもないけれど、これだけは言わせて? もし、幸太郎くんのご両親が、愛してくれないのなら……代わりに私が、たくさん愛してあげるわっ♪ だから、安心してね?」


「しほ……ありがとう」


 しかも、嬉しいことを言ってくれる彼女に、少し泣きそうになってしまった。


 もっともっと、彼女と話していたい。

 この子の言葉を聞いていたい。

 他愛のないおしゃべりをして、癒されたい――と、強い欲求に駆られるが、残念ながらそれをラブコメの神様は許してくれなかった。


「こほっ、こほっ……」


 不意に、乾いた咳の音が聞こえてくる。


 寒くなったせいか、しほの体調は万全ではないようだ。


「しほ、大丈夫か?」


 彼女が俺のことを大切に思ってくれているように。

 俺も、彼女のことを大切に感じている。

 もちろん、心配だった。


「あ、ごめんね? 幸太郎くんと会えないから、ちょっと体調が崩れそうだわっ」


 冗談めかしてはいるが、いつもより少しだけ口数が少ないことには気付いている。

 だから今日は、あまり負担をかけないように、もう電話を終わることにした。


「じゃあ、そろそろ切るよ。今日は夜更かしせずに、暖かくして寝るんだぞ?」


「むぅ……またママみたいなこと言ってっ。言われなくても、そうするもんっ。じゃあね、幸太郎くん……おやすみっ」


 そう言って彼女は、電話を切った。


「ふぅ……」


 息をついて、再びを空を見上げてみると、雲の切れ間から真ん丸のお月さまが垣間見えた。


「綺麗だなぁ……」


 白銀に輝く月の光を見て、俺はそう呟くのだった――







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