第百五十四話 『家族』だから

 ようやく家に到着した。

 タバコの臭いで気分が悪かったので、助かった……いや、気分が悪かったのは、タバコのせいだけではないか。


 久しぶりに母から連絡があったかと思ったら、気分が悪くなるようなお小言をいただいたのだ。

 気分が悪くならないわけがない。


「まぁ、そういうことだから勉強くらいしておけ。私もお前の成績を確認したが、酷いものだったからな……結局、結果を出せたら文句なんて言われん。お前ももう少し有能であれば、母親に愛されていたかもしれないのにな」


 めんどくさそうな態度で、叔母さんは去り際の俺にそんなことを言う。今度は電子タバコではなく、紙巻タバコを吸っていた。


 やっぱりこっちの方が臭いがきつい。

 俺は鼻を押さえてその場を立ち去ろうとする。しかし不意に足が止まって、思わずもう一度叔母さんの方に意識を向けてしまった。


「ん? どうした?」


 再び振り返った俺に、叔母さんは首を傾げている。

 そんな彼女に、俺は思わずこんなことを聞いてしまった。。


「どうして俺は、あんな人を母親だと思ってるんでしょうか?」


「……それは、子供だからだろ? 花が咲く場所を選べないように、子供だって生む親を選べない。まぁ、お前は運が悪かったんだ」


「運が悪かった……ですか。でも、戸籍上は親でも、あんな人間を普通は親だとは思えないですよね」


「……私なら、そうだっただろうな。だからお前が従順なのが不思議ではある。あんな人間を母親だと慕っているお前が理解不能だよ」


「――ふざけるな。今更、母親面するな。あなたが俺に何をしてくれた? あなたが俺に何を求める権利がある? 俺はあなたのおもちゃでも、道具でも、所有物でもない。あなたの思い通りになるなんて、思うなよ」


 不意に零れた感情に、叔母さんはニヤリと笑った。

 この人は良くも悪くも、俺たち家族のことについて他人事である。

 さすがは母の妹だ。冷血で、情に薄く、いつも物事を客観的に見ている。

 そういうところが、苦手だった。母も似たような人間なので、叔母さんを見ていると、どうしても母の姿を重ねてしまう。


 だから俺は、思わず本音をぶつけてしまったのだ。


 でもそれは、俺が理想に描いている人物なら、言わない発言である。

 だからグッとこらえて、悪い感情を引っ込めた。


 脳裏には、しほの顔が思い浮かんでいる。

 きっと、こんなに悪い言葉を使ってしまったら……あの子が心配するから。


 俺まで、母や叔母さんのような人間になる必要はないのである。


「――なんて、言うつもりはありません」


 だから、否定した。

 思ってはいても、口には出さないと、己に誓う。


「あんな人間でも、生んでくれた母親なんです。どんな扱いを受けようと、愛情を抱かれていなくても、関係ありません。俺は、子供としての筋を通します。あんな母親でも、愛してみせますよ」


 どんな人間だろうと、関係ない。

 だってあの人は、


「『家族』ですから……母親を否定するということは、自分に流れる半分の血を否定することになります。俺はもう、これ以上自分を嫌いになりたくないんです。だから、あの人が親としての責務を果たさなくても、俺は子供としての義理を通します。だから、安心してください……言われた通りに、がんばりますから」


 言い切って、少しだけ気分がスッキリしたような気がした。

 悪い感情に支配されるより、やっぱり前向きな感情を抱いていた方が、心地良い。


 それをしほが教えてくれた。

 あの子がいたから、俺はこうやって前向きになれたのだ。


「ふむ……お前も、なかなかの綺麗事を言うじゃないか」


 そんな俺の言葉に、叔母さんは何か含みを持たせたような笑みを浮かべていた。


「でも、一つだけ忠告しておこう。家族という絆ほど、浅ましいものはない……みんながみんな、お前みたいな人間なら幸せなんだろうけどな。世の中では、そうでない人間の方が多いんだ」


 珍しく、タバコの火を消した叔母さんは、俺を追い払うように手を払った。


「お前の母親は、その最たる人間だよ。拒絶するのも、一つの手だとは思うのだが……まぁ、あれでも私の姉で、雇用主だからな。私から言えることはもう何もない。ほら、帰れ……私は忙しいんだ。小僧のお花畑理論に付き合っているほど暇じゃない」


 まるで、何かを匂わせるように。

 叔母さんは苦笑しながら、シートベルトを着けなおした。もうこれ以上、話すつもりはないのだろう。


 俺が扉を閉めると、すぐに車は走り去っていった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る