第百五十二話 主人公は忙しい

 ――学校を出ると、もうすっかり日が暮れていた。

 冷たい風に顔をしかめて、校門を出る。後ろからは胡桃沢さんがついてきている気配があったけど、振り返ることはなかった。


「えっと……私はこっちだから、バイバイっ。中山、急に色々と言ってごめんね? でも、私の気持ちは本気だから……じゃあ、また明日っ」


 声だけをかけて、彼女は音を立てて遠ざかっていく。たぶん、走っているのだろう……返事は求めていなかったみたいだ。


 まぁ、待たれても俺は何も言わなかっただろうけど。

 それくらい今は、混乱していた。


(どうすればいいんだろう……)


 時間が経って、恐る恐る振り返ってみると、流石に胡桃沢さんはもういなくなっていた。そのことに安堵して、大きく息をつく。


(ご都合主義で愛されるって……なんか、変な感じがするなぁ)


 嬉しくはない。でも、嫌な気分がするとも言えない。

 戸惑うというか、複雑というか……よく分からない感情が沸いていた。それがまた中途半端で、嫌だった。


 もっと嫌いになれたのなら、しっかりと拒絶できるのに。

 好意を向けられてしまっては、嫌いになることもできなかった。


(竜崎は、やっぱりハーレム系の主人公として適格だったんだろうなぁ……普通の人間には、この愛は背負えない)


 あいつがラブコメの神様に見初められた理由が改めて分かった。あいつほど主人公に相応しい人間はいない。


 竜崎は俺に出会う前まで、鈍感で独善的で傲慢という三拍子そろった生粋の主人公様だった。もし俺があいつみたいになれたのなら、胡桃沢さんの愛をも受け止めていたのだろう。


 まぁ、そんなことしたいと思わないのだが。


(……しほの声、聞きたいなぁ)


 不意に彼女が恋しくなった。

 色々あって頭の中はグチャグチャだったけど、彼女の声を聞けば安心できるような気がしたのである。


(そういえば……スマホの電源、入れないとっ)


 先程返してもらったスマホを慌てて取り出す。

 しほからの着信件数はいったいどれほどのものなのか。恐る恐る電源を入れて、確認しようと思ったのだが……ラブコメの神様は、本当に意地悪だった。


 俺に安らぎの時間を与えない。

 スマホの電源を入れる前に、次のイベントが俺を襲ってきたのである。


「……おい、いつまで待たせるんだ?」


 不意の声に、ハッとして顔を上げた。

 少し先で、スーツ姿の女性がタバコを片手にこっちを見ていた。


 校門の向かい側。道路を挟んで反対側の歩道にいたその人は、携帯用の灰皿にタバコを片付けながら、こっちに歩み寄ってくる。


「夜遅くまで学校に残っているかと思ったら、女子生徒と二人で出てきて……何をしているのかは知らんし、聞くつもりもないが、大層な御身分だなと言っておこう」


 手厳しい物言いも相変わらずだ。

 いつもは俺になんて興味も関心も抱かないくせに、何の用だろうか。


「しかも自宅には他の女を連れ込んでいるときた……少し、浮かれすぎじゃないか? なぁ、幸太郎……お前は学生だろう? 学生の本分は色恋に浮かれることではないと分かっているか? お前がするべきことは、もっとあるはずだが」


「……はい、そうですね。叔母さん」


 逃げることはできない。

 観念して、小言を聞き入れることにする。


 この人はいつもこんな感じだ。


「まったく、梓にお前の居場所を聞いて、学校にわざわざ迎えに来てやったのに、こんなに待たせるとはな……私は忙しいんだが? そのあたり、もっと自覚してほしいものだ」


 お団子上にまとめた髪の毛。フレームの細い眼鏡の奥からは、鋭い目つきの視線が俺を捉えていた。


 彼女は叔母さんである。

 俺の実母の妹にあたる人で、現在は海外で働く両親の代わりに保護者をしてもらっていた。


 名前は、一条千里。

 年齢は32歳。敏腕のキャリアウーマンで、俺の父母が経営する旅行会社の取締役員をしている。


 普段は忙しすぎてあまり会うこともない人なのだが、いったいどうして俺を迎えに来たのだろうか。


「少し、話がある。車に乗れ……お前の成績について、姉から伝言があるんだ」


 ……ああ、なるほど。

 叔母さんの言葉に、俺は思わず笑ってしまった。


 ついに、きたか。

 今まで触れてこなかった……いや、触れたくなかった人が、ついに物語に介入してくるようだ――

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