第百四十八話 ラブコメの神様は気まぐれ


 夕焼けに照らされた教室で、女子生徒と二人きり。

 かつて、同じシチュエーションでしほと仲良くなった。


 でも今回、一緒にいる女子生徒は、しほではない。


 胡桃沢くるりという、ピンク色の髪の毛が特徴的な女の子だった。


「別に、あなたに気があるわけじゃないんだからね? 少し、話がしたかっただけなの」


 俺のスマホを片手に持っている彼女は、頬を赤く染めてそんなことを言う。

 いや、違うよな? 夕焼けを反射して赤く染まっているだけだよな?

 まさか、俺相手に興奮しているなんて……そんなこと、ありえないよな?


「……とりあえず、スマホを返してくれないか? 着信、たくさんあると思うんだけど」


 正直なところ、びびっていた。

 俺は、この停滞したラブコメが好きだ。しほと二人で永遠にのんびりしたいと思っている。


 変化なんていらない。

 だって俺たちはもう、仲良しなのだ。

 時間が経っていくにつれてもっと仲良しになるだろうし、やがては付き合い、一定の年齢に達したら、結婚を考えるようになる。


 そんなラブコメがいいのだ。

 俺達の物語に山も谷も要らない。起承転結も邪魔だ。事件も、イベントも、葛藤も、挫折も、カタルシスですら、求めていない。


 だというのに、ラブコメの神様は無慈悲である。

 竜崎龍馬を簡単に切り捨てたかと思ったら、今度は勝手に俺を愛し始めた。


 本当に、勘弁してほしかった。


「着信? ええ、たくさんあったけど、うるさいから電源を切ったわ。中山ってパスワード入れてないの? 不用心ね……そんなんだから、私にスマホを盗まれちゃうんじゃない?」


 イタズラっぽい笑顔を見て、冷や汗がにじんできた。

 なんで俺にだけそんな笑顔を浮かべるんだろう? 意味が分からない。


 俺にも、さっきみたいに不愛想でいいのに。

 感情なんて見せなくていいのに。

 お互いに他人として生きていく方が、きっと幸せなのに。


「あ、中身は見てないから安心して? 私、一線は越えないのよ……まぁ、ギリギリは攻めるんだけどね? 今回はごめんなさい。スマホを盗まれて不愉快だった? その件に関しては謝る」


 そう言って、彼女はスマホを差し出してくる。

 距離は数メートル離れている。しかし彼女はこちら側に来る様子がない。窓際にもたれかかりながら、来いと言わんばかりに待っていた。


「いや、怒ってはないけど……とりあえず、返してもらうよ」


 刺激しないよう、当たり障りのないことを言いながら、恐る恐る彼女に近づいていく。

 ゆっくりと、一歩ずつ……手が届くギリギリの距離で足を止めて、彼女の手からスマホを取ろうとした。


 しかし、ただただ取ることを、ラブコメの神様は許してくれなかった。


「――っ!?」


 不意に、足元に何かが引っかかる。床には誰かのカバンが落ちていた。不自然に転がるそれに足をかけてしまい、俺は前のめりになってしまう。


「危ない!」


 その瞬間、彼女が血相を変えて俺を受け止めようと前に出てきた。

 しかし胡桃沢さんは体重が軽い。俺を受け止めたのはいいが、支えることが出来ずに、一緒に倒れてしまう。


 結果、俺は彼女の胸に顔を打ち付けることになった。


「いたた……中山、大丈夫? 頭打ってない?」


 胡桃沢さんはお尻を打ち付けてはいたが、体は大丈夫だったようだ。俺のことを心配してくれている。


 ただ、俺は思いっきり顔を打ちつけてしまって、すぐに何も言うことができなかった。特に鼻が痛い……鼻血が出そうな気がする。このままだと胡桃沢さんの洋服に血が付きそうだったので、慌てて手をついて体を置こうとした。


 しかしその手がついた先は……彼女の胸だった。

 慌てていたせいで確認できなかった。


「っ~~~!?」


 胡桃沢さんは途端に顔を真っ赤にする。

 いきなり胸を触られたのだから、怒っても無理はない。


 しかし、


「……うぅ、早く離して? ドキドキしてるのが、バレちゃうから……」


 ただ、彼女は恥ずかしそうにもじもじするだけだった。

 その胸からは、確かに鼓動が伝わってくる。

 痛いほどの脈動に、俺は血の気が引いた気がした。鼻血も引っ込むほどに、血の巡りが悪くなった気がする。


 どうして、俺に触れられただけで、そんなにドキドキしてるんだ?

 いや、なんで怒ってくれないんだ?

 赤の他人に体を触られたのだから、怒ったり、嫌そうな顔をしてくれるのが、普通だと思うのに。


 これではまるで、ラッキースケベである。

 いや、『まるで』という表現は間違っているのだろう。


 今の俺は、ラブコメの神様の寵愛を受けているのだ。

 きっとこれすらも、『予定調和』だったのである――


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