第百四十三話 北条結月
北条結月。
一言で彼女を表現するなら『大和撫子』だろうか。
艶やかな長い黒髪が綺麗な女の子である。背は小さいが、肉付きのいい体格をしており、胸が大きい。女子ウケするような容姿ではないが、男子からの人気はとても高い少女だ。
その中身は、見た目と同じくとても奥ゆかしい。
良く言えば従順で、悪く言えば盲信的だ。。
とにかく彼女は自己主張をしない。いつも相手に合わせて生きており、他人を否定することがまったくない。
彼女が拒絶したのは、過去を含めてもたった一度だけである。
高校の入学式で、幼馴染の中山幸太郎と決別した、あの時だけだ。
以来、彼女はずっと竜崎龍馬に付き従っていきている。
その少し後ろから、ずっと竜崎龍馬の背中を追いかけている。
かつて、メアリーは北条結月をこう評した。
『ユヅキは、意志が弱い』
性根こそ歪んでいたが、彼女の人を見る目は本物だった。
故に、北条結月に対する分析も的確である。
彼女はとにかく意志が弱い。
流れに流されやすく、押されると受け入れてしまうような人間だ。
彼女はとにかく否定ができない。
嫌なことでも『我慢すればいい』と思っている。
だからこそ、彼女は自分を見失った哀れなハーレム主人公ですら、受け入れることができたのだ。
メアリーが一時期やっていた『全肯定』とは違う。あれは一種の激励であり、承認欲求を満たすことで、自分に自信をつけるという治療だ。
まぁ、彼女はあえて過剰にやっていたので、治療じゃなくてドーピングなのだが。
結果的に自信が肥大化してうぬぼれた竜崎龍馬の顛末は、もう物語として語り終わっている。
とにかく、北条結月は意志が弱く、ダメな竜崎龍馬を受け入れてしまっているのだ。
「龍馬さん? あの、実はお弁当を作って来てるんですけど、お昼に食べますか?」
「…………」
竜崎龍馬からの返事はない。しかしそんなこと気にせずに、北条結月は話しかけ続ける。
その内容も、酷いものだった。
どうして彼女は、ずっと休んでいた竜崎龍馬のための弁当を持っている?
その答えは明白だ。
竜崎龍馬が休んでいる間、毎日ずっと彼のために弁当を作り続けていたのだ。来なければ家で捨てて、また早起きして、作り直す――そのサイクルを一カ月半も続けていたのである。
普通の人間であれば、そんなことしない。
だって、努力に対する成果がない。報われない努力に意味などない。しかし北条結月は、そもそも報われようとしていないから、そんなことどうでもいいのだ。
盲目的なまで、彼女は献身的だ。
いや――その表現は少し違うだろう。
北条結月は献身的ではない。『隷属的』なのだ。
その奉仕は……まるで、ご主人様に媚びを売る奴隷である。
「メニューはなんと、龍馬さんが大好きな唐揚げと、ハンバーグと、それから……」
「要らない」
しかし、そんな少女の献身的な愛を、竜崎龍馬は呆気なく踏みにじる。
「食欲、ないんだ」
たった一言。それだけで、この一カ月半の努力が、否定された。
竜崎龍馬に喜んでもらうために、彼女は一生懸命だった。唐揚げも、ハンバーグも、冷凍食品ではない。一から作った料理だ。毎朝4時に起きて、時間をかけてお弁当を作っていたというのに……そんな努力を、たった一言で潰された。
普通の人間であれば、相手を嫌いになってもおかしくないだろう。
思いやりを踏みにじった竜崎龍馬に嫌な感情を覚えるだろう。
しかし北条結月にはそれができない。
彼女は、他人を否定できるほど、意志が強くない。
だから北条結月は、受け入れるのだ。
「はい、ごめんなさい。食欲がないのであれば、仕方ないですね。わたくし、少し思い上がっていたみたいです……龍馬さん、ごめんなさい」
ぺこぺこと頭を下げる北条結月。
そんな彼女を近くで眺めていた浅倉キラリは、胸を抑えて悲痛そうな表情を浮かべていた。
(ゆづちゃん、ダメだよ……)
彼女はもう知っている。
(受け入れることだけが……甘やかすことだけが、『愛情』じゃないよっ)
悪いことをしたら、悪いことをしたとちゃんと伝えること。
ダメなことをしたら、もう二度としてはいけないと、叱ること。
それはとても、大切なことだ。
ただただ受け入れて、甘やかす……それが愛情でないことを、浅倉キラリは身に染みて知っていた。
かつて、中山幸太郎に厳しい言葉をぶつけられて、激昂したこともあるが。
ただ、時間が経って振り返ってみた時に、浅倉キラリはそれが彼なりの激励だったことに、気付いた。
あれがあったからこそ、彼女は再び前を見ることができた。
だから、今の北条結月の行動が、正しいものとは思えなかったのである。
(はぁ……もう、どうしていいか分かんないっ)
彼女は苦悩する。
ダメになった好きな人と、そんな彼を受け入れたライバル……このままでは、浅倉キラリの思いが報われない。
それも嫌なのだが……しかし、何よりもそんな二人がこのまま破滅の道を進みそうで、これが一番心配だった。
(これが、アタシの選んだ物語かぁ……)
前途多難なラブコメに、浅倉キラリはため息をつくことしかできなかった――
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