第百四十一話 ハーレム崩壊

 ――小宮木乃香。高校二年生の女子生徒で、彼女は風紀委員に所属している。

 風紀委員は毎朝校門前で挨拶運動を行っている。もちろん木乃香も毎朝少し早起きして活動に参加していた。


 そんな彼女には、毎朝ひそかに楽しみにしていることがある。

 それは……一年生の竜崎龍馬と言葉を交わすことだ。


(竜崎君……今日は来るかなぁ?)


 彼は最近学校に来ていないようなので、木乃香は寂しかった。

 学年が違うので詳しい状況を知ることもできずに、彼女はただただ竜崎が来てくれることを祈って、毎朝校門前に立っている。


(もし来てくれたら、髪形が変わったことに、気付いてくれるかなっ?)


 つい先日、髪形をガラッと変えた。

 ずっと三つ編みだったのだが、勇気を振り絞ってショートカットにしてみた。それも全て、竜崎龍馬に『かわいい』と思ってもらうためである。


 そうやって、ただただ待ち続ける日々が続いていた。

 文化祭以降、一向に竜崎龍馬は姿を現さなかったのだが……しかし、12月に入って、数日経った頃。


(あ、いた!)


 ようやく、念願の彼が登校してきた。

 すぐに木乃香は背筋を伸ばして、少しでもかわいく見えるように、髪形を整える。それから竜崎が近づくと、一番最初に声をかけた。


「竜崎君、おはようっ」


 元気よく挨拶をする。

 そうすると、竜崎龍馬はニコヤカに笑って、挨拶を返してくれた。『木乃香は偉いな。いつもご苦労様』なんて言いながら頭を撫でてくれた時は、とても嬉しかった。先輩なのだが、彼はどこかお兄ちゃんみたいで、木乃香はとても慕っている。


 しかし……今日の竜崎龍馬は、いつもと違った。


「…………」


 挨拶なんて聞こえていないと言わんばかりに、木乃香の横を通り抜けていく。虚ろな瞳はどこにも焦点があっておらず、不気味だった。


「りゅ、竜崎君?」


 再度、声をかける。そこでようやく彼は木乃香に気付いたようで、光のない目を木乃香に向けた。


 その瞳には……やっぱり何も映ってはいなかった。


「……木乃香か」


 一応、認識はしていた。しかし、それ以上のことは何も言わずに、竜崎龍馬は校内に歩いて行った。


 髪形を変えたことに気付いた様子もない。挨拶運動を労うこともない。それどころか挨拶さえまともに返さない――そんな竜崎龍馬に、木乃香は違和感を覚えた。


(あれ? 私の気になってた人って……あんな人だっけ?)


 ――違う。


 木乃香が好きになった人は、もっとキラキラしているはずだった。

 いつも自信満々で、とても頼り甲斐があって、もし付き合うことができたら幸せにしてくれそうなくらいに包容力のある人間だった。


 でも、今の竜崎龍馬は、違う。

 表情に色がない。瞳に光がない。まったくもって、覇気がない。

 まるで感情のないロボットみたいだとさえ思った。


 あれではまるで人形だ。

 こんな人を、木乃香は好きになったわけじゃない。


(……なんか、もういいかなぁ)


 ふと、彼女は脱力していることに気付く。

 なんとなく、落胆したような…‥いや、なんとなくではない。確実に木乃香は、失望していた。


 竜崎龍馬という人間は、思ったよりも大した男ではなかった。

 だから彼女は、竜崎龍馬に恋をするのをめんどくさく感じたのである。


(まぁ、どうせあんまり接点もなかったし……私ってなんで竜崎君を好きになったんだろう? 朝、挨拶してただけなのに、なんか変な感じだなぁ)


 たとえるなら、夢から醒めたような。

 ハッと我に返った木乃香は、竜崎龍馬への恋心を失った。


 以降、彼女は竜崎龍馬のことを忘れるようになる。

 つまり、小宮木乃香は竜崎龍馬の『ハーレム』から脱退したのだ。


 そしてそれは、彼女だけではない。


 ――違う。


 生徒会長で三年生の先輩も、竜崎龍馬への興味を失った。


 ――違う。


 クラスメイトで密かに憧れていた少女も、竜崎龍馬への憧憬を失った。


 ――違う。


 陸上部のエースで二年生の少女も、竜崎龍馬への期待を失った。


 ――違う。


 美人と評判の保健室の養護教員も、竜崎龍馬への関心を失った。


 一気に、ハーレムが瓦解していく。

 自分をモブキャラと思い込んだ竜崎龍馬は、ラブコメの神様から見放されてしまっていた。

 ご都合主義が発動せずに、女の子たちが竜崎龍馬の毒から逃れていたのだ。


(……くくっ。流石はモブキャラの俺だな……女の子たちがどんどん離れていく)


 それでも竜崎は、卑屈なままだ。

 女の子たちの心が離れていくことを理解していたが、しかし彼はそれを受け入れた。


 空を飛べなくなったハーレム主人公様は、地を這うことすらままならない。それどころか、その場でもがくこともせずに、ぼんやりと空を見上げていた。


 本当に、彼はくだらない人間になってしまったのである。

 そんな主人公なのだから、ハーレムメンバーに見放されるのも当たり前だった――

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