第百三十三話(間話二) もしもあの時、ああしていたら
泣こうとなんて思っていなかった。
でも、自然と涙が溢れてきて、止まらなかった。
「え? 浅倉さん? ど、どうかしましたか? 何か、傷つけるようなことを言いましたか?」
仁王二子も戸惑っている。突然泣き出したキラリを見ておろおろしていた。
しかし、一番戸惑っているのは、やっぱりキラリ本人だろう。
「ち、違うっ……にこちゃんは何も、悪くないよ? 悪いのは――アタシだから」
不意に、過去の思い出が走馬灯のように脳裏を巡る。
オススメした本はなんでも読んでくれた。聞けば感想を教えてくれたし、時には議論を交わすこともあった。キラリの意見にいつも耳を傾けてくれたし、どんな言葉をかけても彼はイヤな顔一つしなかった。
自分の好きという思いを、こーくんはずっと受け止めていた。
それがどんなに幸せなことだったのか……失った後で、ようやく思い出したのである。
ずっとそばにあったものが、一番の宝物であったことに気付いて、思わず胸を抑えてしまった。
(そっか……アタシにとってこーくんは、やっぱり親友だったんだなぁ)
高校の入学式。竜崎龍馬に一目惚れして以降、気にも留めなかった。
いや、違う。そばにいて当たり前の存在だと思っていたから、彼を大切にしようとなんて思わなかった。
そのせいで、気付いた時にはもう彼は遠くに行っていた。
大切な宝物は、なくなってしまっていたのだ。
今更泣いたところで、彼は戻ってこない。
そのことをしっかりと理解している彼女は、もうすがりつくような情けない真似はしない。
こーくんへの未練を振り払うように、彼女は乱暴な仕草で涙を拭った。
「……ごめんね、なんでもない。目にゴミが入っちゃっただけだから」
気丈にあごを上げて、笑顔を浮かべる。
そうすると、そわそわしていた仁王二子が、安堵したように肩をなでおろした。
「良かったです……これから仲良くしたいあなたを傷つけたのかと思って、戸惑ってしまいました。みっともないところをお見せして申し訳ないです」
「……アタシと仲良くしたいの? にこちゃんが? 前まではしゃべりかけてもあんなに嫌がってたのに?」
不思議なことだった。
仁王二子は基本的に他人に寄り付かない。人見知りなわけではないが、特定の誰かと仲良くなろうとしない、孤高の少女なのだ。
ましてや、キラリは馴れ馴れしいという理由で嫌われていた側の人間でもあったのだが……仁王二子は、首を横に振って肩をすくめた。
「いえ、なんというか……髪型、変えましたよね? そのせいか、今のあなたはとてもあなたらしいというか……前までの浅倉さんは『偽物』っぽくて、苦手だったんです。でも、今のあなたは『本物』に見えますし、とても魅力的に感じたので、思わず話しかけてしまいました」
どうやら、突然話しかけたことにも理由があったらしい。
(偽物じゃなくて、本物っぽい……か。まるで、彼みたいなことを言うなぁ)
仁王二子の発言に、中山幸太郎を重ねる。
別に、彼に認められたいわけじゃないのだが……褒めてくれて、素直に嬉しかった。
「ありがとっ。まぁ、アタシで良ければ仲良くして? ラノベもいっぱい貸すから、感想とか聞かせてよ」
「はい、もちろんっ。ちなみに、今読んでいたお話はどんな物語ですか?」
「これ? これはね、アタシが一番大好きな作品で……地味な少年が綺麗なヒロインと結ばれるラブコメだね」
手に持っているライトノベルを、仁王二子へと差し出す。
彼女は丁寧に両手で受け取って、ぺこりと会釈した。
「なるほど。それはそれは……面白いのですか? 聞いた限りだと、ありふれたお話に感じるのですが」
「面白いっていうか、うーん……アタシが好きってだけかな? なんか、グッとくる。楽しいとか、笑えるよりも、『美しい』って表現したいくらい」
とても綺麗な作品だと、キラリは語る。
その主人公はまるで、彼みたいで……そういえば最初に話しかけたのも、このライトノベルがきっかけだったことを、キラリは思い出した。
(この作品の主人公は、本当にこーくんに似てるんだよなぁ)
他人なんて興味がなかった中学時代。
唯一、関心を抱いたのが彼だった。
そんな大切なことを今まで忘れていた彼女は、自分の浅はかさにまたしても泣きそうになる。
(……もし、アタシがもっとこーくんを大切にしていたら)
不意に、考えてしまう。
考えたくないけれど、嫌でも脳内で想定してしまった。
もし、今みたいに彼を蔑ろにせず、高校生になっても大切にしていたら。
今みたいに、逆恨みすることしかできない関係性とは、違う道を歩めたかもしれない。
そう考えると、胸がいっぱいになった。
バレないように、彼の方に視線を移す。
お昼休み。彼は隣の席の霜月しほと、仲睦まじく昼食を食べていた。
霜月しほの席に座っている自分を想像して、彼女は小さく苦笑する。
(もう、全部遅いけど)
それでもやっぱり、彼女は妄想してしまった。
もし、中山幸太郎と……ずっとずっと、親友でいることができていたのなら。
(今頃、こーくんの隣にいたのは、アタシだったかもしれない――)
【浅倉キラリのエピローグ 了】
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