第百二十九話 ヒロインの『格』


 いつの間にそこにいたのだろう?

 空き教室の入口には、白銀の少女が悠然と佇んでいた。


 見慣れたはずの女の子なのに、初めて見るような。

 そんな気がするくらい、今の彼女は雰囲気が違う。


 俺が知っているはずの彼女であれば、こんな状況に出くわしたら正気を保てなかったと思う。

 女の子と二人きりで、しかもその距離はほとんどゼロに近い。ちょっとヤンデレちゃんの君なら、ほっぺたを膨らませて怒っていただろう。


 だけど、今の彼女は……霜月しほは、俺の予想を超える表情を浮かべていた。


「うふふっ♪」


 うっすらと微笑みながら、手を後ろに組んでこっちを見つめている。

 品格を感じさせるその表情に、鳥肌が立ちそうになった。


 最近は、身近になっているせいか……感覚がマヒしていたけれど。

 やっぱりこの子は、華がある。圧倒的な存在感に、委縮しそうになった。


「ダメよ? メアリーちゃん……彼は私のかわいいヤドリギなのよ? 気軽に触れてはいけないわ。あなたは、許可できないの」


「――っ」


 メアリーさんも、圧倒されていた。

 自暴自棄になって、俺と一緒に破滅しようとしていたはずの彼女は、しほの眩しさに目をくらませている。


 その気持ちはわかる。

 しほの前に立つと、自分の汚さが浮き彫りになる。

 きっとメアリーさんも、気後れしているのだろう。自分の醜さを強く実感しているのだろう。


 だから何も言えずに、ただただ呆然とすることしかできないでいるようだ。


「ねぇ、素敵でしょう? 私のかわいい若木は、とても魅力的でしょう? 手を出したくなる気持ちは、分かるわ。だって、こんなに素敵だもの」


 歌うようなリズムで、言葉が紡がれる。


「磨けば磨くほど、彼は素敵に輝いていく。丁寧に調律していくと、綺麗な音が響く楽器みたいに……味わい深くて、魅力的な人間になっていく。それはとても嬉しいことだけれど、その光に引き寄せられて、悪い虫さんがたくさん寄ってくる」


 一歩、しほは前に踏み出す。

 そのたびに、空気が震えた。自然と意識が彼女に向いた。その一挙手一投足から、目を離せなかった。


 この子は本当に、しほなのだろうか。

 あのポンコツで愛らしい少女は、どこにもいない。


 まさしく、彼女はメインヒロインだった。

 母親であるさつきさんみたいに異色の空気を醸し出している。


「でも、ダメよ? 私が育てたのよ? 私が愛情をこめて、私のためだけに調律したの。だから、私には彼を守る義務があるし、悪い虫さんを追い払う責任があるわ」


 さらに一歩、前に進む。

 距離が近づくたびに、息が苦しくなるような圧迫感を覚える。


 なんだか、逃げ出したい気分だった。

 まぁ、その気持ちは恐らく……俺よりも、メアリーさんの方が強いだろうけど。


 しほに言葉をぶつけられて、彼女は体を震わせていた。

 まるで、イタズラを親に見つかった子供みたいに、居心地を悪くしていた。


 メインヒロインに隠れて、メインヒロインのように振る舞っていたのだから、それも無理はないか。


「あずにゃんは特別に許してあげたわ。だって、将来の私の妹になるのだから、当然よね。彼の寵愛を受ける権利があるし、幸せになってほしいという願いがあるもの。あずにゃんが幸せじゃないと、彼も幸せになれないから、特別に受け入れさせてあげたけれど」


「……ワタシは、ダメってことかな?」


「ええ、もちろん。あなたはダメよ? いいえ、あなただけが特別なわけじゃない。他のどんな女の子であろうと、彼に手を出すのは絶対に認めないわ。だって、せっかく私の大好きな音色を響かせるようになったのに、穢されたら音が鈍っちゃうものね」


 相手に理解させるつもりなんて、さらさらないのだろう。

 しほは独特の感性で物事を語っている。


「本当はね、嫌だったわ。彼があなたとか他の女の子にちょっかいを出されていることは、知っていたの。嫌な音が響いていたわ……聞くに堪えない雑音よ。わたしのかわいい小枝を折られているような感覚だったわ」


「――え? 知ってたのか?」


 今の言葉は、俺の口から出たものだった。

 てっきり、今回の物語はしほに関係がないものだと思っていた。

 彼女は何も知らずに、平穏なラブコメをつづっているとばかり思い込んでいた。


 でもその認識は、少し違ったみたいだ。


「ええ、もちろん……幸太郎くん? 私があなたのことで知らない事なんてほとんどないわ。苦しんでいたり、傷ついていたら、特に気付くもの。だって、あなたのことを愛しているのだから」


 つまりしほは……俺のわがままに、付き合ってくれていたと言うことか。


「だからこそ、私を守ろうとしていたことも知っていたわっ。うふふ、とても素敵なことよ。私のかわいい幸太郎くんが、一生懸命私のために尽くしてくれていたから、思わず見守っていたわ。手を出さずに、守られてあげていたの」


 ああ、そうか……俺はもしかしたら、勘違いしていたのかもしれない。


 しほは、守らなければいけない存在と思っていた。

 か弱い存在だから、俺が盾にならなければいけないと、思い違いをしていた。


 でも、しほだって成長している。

 少しずつ強くなっている。


 彼女は、ただただ守られるだけで満足するような、か弱い女の子じゃなかった。


「ありがとう、幸太郎くん。あなたの気持ちは嬉しいわ……でも、これだけは知っていてね? あなたが傷つけば、傷つく人がいるの。自己犠牲で全ての物事が解決するのは、都合のいい創作の中だけよ? 今回はたまたま私が見守っていたから最悪にはならなかったけれど、きちんと気をつけなさい?」


 そして彼女は、俺のすぐ隣に到着した。

 硬直したまま動かないメアリーさんから引き剥がすように、しほは俺の手を引っ張る。されるがままに身を寄せると、彼女は俺を抱きしめた。


「でも、かっこよかったわ。また一つ、あなたの好きなところが増えたもの……今回は、それが一番の収穫ね?」


 そう言って、しほは笑う。

 たったそれだけで、俺の体が火照るように熱を持った。


 メアリーさんには何をされても、まったく動じなかったと言うのに。

 しほはただ笑うだけで、俺をこんなにも熱くする。


 それはまさしく、メインヒロインとサブヒロインの違いだった。


「――っ」


 サブヒロインはそれを見せ付けられて、傷ついたように表情を歪める。

 きっと、メアリーさんも気付いている。物事を俯瞰的に見てしまうから、しほと自分の違いを強く実感していることだろう。




 これが、ヒロインとしての『格』の違いだ。




 メインヒロインはいつだって物語を捻じ曲げる。

 メアリーさんの復讐劇にも、容易く終止符が打たれてしまったようだ。


「はぁ……ワタシには、勝てないよ……降参だ」


 そう言って、メアリーさんは肩を落とす。そのまま振り返ることなく、教室から歩き去っていった。


 何も生み出せなかった負け犬のサブヒロインは、とても惨めに舞台から消えたのである。


 これにて、第二部は閉幕となるだろう。

 メインヒロインの一手によって、ついにメアリーさんの物語は……終わったのだ――

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