第百二十八話 クリエイターと勘違いしていたサブヒロインの逆恨み
「――ねぇ、待ってよ」
教室を出て行こうとしたら、まだ終わっていないと言わんばかりにメアリーさんが声をかけてきた。
「……これ以上、話すことなんかないぞ?」
足を止めて、振り返る。まだ何か言い足りないことがあるのだろうか……もう、彼女のシナリオ破綻したというのに。
「ああ、そうだね。コウタロウにも、ワタシにも、もう役割がない。だって物語は終わった……想像を絶する『駄作』という結末でね」
「自覚があるのは何よりだけど……」
だったら、なんだ?
メアリーさんが俺に何を言いたいのか分からなかった。
こんな彼女は、初めてだ。いつもはまわりくどい言い方をするけど、伝えたいことは明確で分かりやすかったというのに……今は本当に意味不明だ。
「そんなに困惑しないでくれよ……ワタシだって分かっているんだよ? これはね、物語には関係ないただの『蛇足』なんだ。タイトルをつけるなら、そうだなぁ……『クリエイターと勘違いしていたサブヒロインの逆恨み』ってところかな?」
メアリーさんが、顔を上げる。
その顔に張り付いていたのは、薄気味悪い冷笑だった。
いつもの笑顔ではない。不敵な笑顔でもなければ、狡猾な作り笑いでもない。
まるで、後がなくなってヤケクソになった人間の、自暴自棄な笑顔だった。
「ワタシの駄作は、登場人物がことごとく不幸になって幕を閉じたけれどね? 一人だけ、幸せな人間がいるんだよ」
……その言葉で、ハッとした。
彼女が何をしようとしているのか、分かった。
「おいおい、冗談だろ……大人しく退場してくれよ。もう役割は終わったんだから、素直に消えてくれよ……」
「いやいや。これが最後の見せ場だからねぇ……ワタシが今以上に活躍することなんて、以降の物語ではありえないだろう? だったらここで、爪痕を残させてくれよ」
そう言って、メアリーさんは一瞬で俺に詰め寄ってきた。
肌と肌が増え合いそうなほどに近づいてきた彼女に、俺はもちろん逃げようと後退した。しかしメアリーさんは止まらない。ぐいぐいと俺に詰め寄ってきて、逃がしてくれなかった。
「逃がさないよ? コウタロウ……ワタシはね、アナタが許せない。ワタシの駄作で唯一幸せなコウタロウにも、不幸になってほしいんだよ」
もう、背中が壁にくっついていた。
メアリーさんは壁に手をついて俺を拘束する。いわゆる壁ドン状態なのだが……まったくトキメキがないので、やめてほしかった。
まずい……やりすぎたかもしれない。
黒い感情が暴走したせいで、メアリーさんを追い詰めすぎたのかもしれない。
彼女は、自暴自棄になっていた。
もう自分のことなんて関係ないのだろう。プライドは折られ、立場はなくなり、お先も真っ暗だ
まるで『無敵の人』である。
今の彼女は何も怖いものがない。だから、なんだってできる状態である。
「コウタロウも、一緒に不幸になろうよっ? みんな不幸になれば、それが普通になる。ワタシも、リョウマも、キラリも、平等だよ? だから、不幸にしてやる……コウタロウも、地に落としてやる!!」
冷や汗が出てくる。
ドス黒い怨嗟をぶつけられて、背筋が凍った。
(まずい……まずい、まずいっ)
止められない。なんだかんだ言って、俺は所詮モブキャラだ。
サブヒロインよりも格下の存在なのだから、彼女の意思に介入できない。
どんな言葉をかけようと、メアリーさんは止まらないだろう。
だから、何もできなかった
「コウタロウ……ワタシ、言ったよね? もしワタシの思い通りにしてくれなかったら、アナタが一番望んでいないことをする――って」
「……やめろ。お願いだから、やめてくれっ」
「いいや、やめないよ? コウタロウにも、一緒に不幸になってほしいからねぇ? そうだなぁ……うん、決めたっ。コウタロウとシホのラブコメを、邪魔してあげよう。うん、二人の物語にワタシの爪痕を残しておこうっ!」
それは、最も恐れていたことだった。
それだけは、本当にやめてほしいことだった。
「今から、コウタロウにキスをしてあげる……にひひっ、嬉しいでしょ? こんな美女が初めての相手だよ? きっと、消えない記憶になるだろうねぇ」
「……君の初めてでも、あるんだぞ?」
「だから何? ワタシはもうどうでもいいんだ……コウタロウさえ傷つけられれば、それでいいんだっ」
彼女はさらに一歩、前へと踏み出してくる。
もう、鼻先がくっついていた。彼女が話すたびに吐息が頬にあたって、嫌な気分になった。
でも、動けない。まるで蛇に睨まれたカエルだ……恐怖で足がすくんで、動けなかった。
この先のことを考えると、叫び出しそうになる。
だって、ここでメアリーさんが俺の初めての相手になったとしたら……きっと、今後も彼女は、俺の心から消えなくなる。
「にひひっ。いいねぇ……今後、しほとキスをするたびに、触れ合うたびに、コウタロウはワタシを思い出す。しほを裏切った罪悪感で苦しむ。心の底から、シホのことを愛せなくなる! 裏切った自分を許せなくて、再び自分を否定する哀れなモブキャラに成り下がる――!!」
その通りだ。たとえ俺に責任がなかったとしても……いや、しほがそれを許したとしても、俺の心が俺を許せなくなる。
後悔に打ちのめされて、しほの愛を受け止め切れなくなる。
メアリー・パーカーという少女の残した爪痕によって、今後もずっと苦しめられるだろう。
「――ざまぁみろ」
メアリーさんは、笑う。
いや、嗤う。
さっきの俺と同じ笑顔を、浮かべていた。
「コウタロウも、ワタシと一緒だねぇ? 哀れで惨めなキャラクターとして、人生を後悔に満たされながら生きようよ……しほに捨てられたら、ワタシのところにおいで? 二人で傷をなめ合って生きていくのも悪くないだろう? 一生満たされない思いに胸をかきむしりながら、お互いを恨み合いながら、二人で満たされない愛を求め続けよう……それが、ワタシの復讐だ」
……これは、罰なのだろうか。
他人を嘲笑った因果なのだろうか。
やっぱり俺は、あの子がいないとダメな人間である。
(俺のラブコメも……ここまでか)
結局、メアリーさんに弄ばれて、終わりなのか。
しほ……ごめんな。
君を幸せにすることは、もうできないかもしれない――
――いつもは、これで区切られるはずだった。
でも、そんな展開を……彼女が、望むわけがなかった。
「うふふっ……ねぇ、どうして私がそれを許すと思ったのかしら?」
透明な声が響く。
冷えた空気に、温かい風が吹き込まれる。
灰色に染まった世界が、一気に色づくような。
そんな錯覚を見てしまうほどに、彼女の登場は劇的だった。
「ダメよ? 私のかわいい主人公を穢さないでくれるかしら?」
ハッとして、顔を上げた。
メアリーさんの唇をかわすように顔をずらして、空き教室の入口を見る。
そこにはやっぱり、彼女がいた。
「幸太郎くん、もう大丈夫よ。私が助けてあげるからね?」
優しい笑顔に、思わず泣きそうになってしまう。
そうだ……この子はいつも、そうなんだ。
辛い時、苦しい時、どうしようもない時に……俺のそばにいてくれる。
そしていつも、俺を助けてくれるのである――
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