第百二十五話 『サブヒロイン』という限界値

 いよいよだ。

 もうすぐ、彼女が待ち望んでいた瞬間が訪れる。


「メアリー、約束の時間だ……答えを、聞かせてくれ」


 夕暮れの空き教室で二人きり。シチュエーションとしては文句のない場面だ。まぁ、教室のどこかにはモブキャラが潜んでいるだろうが、竜崎龍馬が気付いていないので、実質的には二人きりである。


「俺は、メアリーのことが好きだ」


 覚悟を決めた主人公様の声が響く。

 その目はまっすぐメアリーに向けられていた。


「これからもずっと、メアリーのことを好きでいさせてくれないか?」


 その一言を聞くために、いったいどれほどの努力を積み重ねただろうか。


(ふぅ……やっとだね)


 正直なところ、名役者を自負しているメアリーでさえ、竜崎龍馬という人間は難しかった。

 あまりにも鈍感で、好意が伝わらず、容易く思いを踏みにじる人間を惚れさせるのは、並大抵の努力では成し遂げられないだろう。


 だからこの一言に胸を躍らせた。

 ついにきたこの瞬間に、メアリーは体を揺らす。


 わくわくしていた。

 そわそわしていた。

 うずうずしていた。

 もじもじしていた。


 早く感情を爆発させたい。

 でも、まだだ。ここでお漏らしをしてはカタルシスが薄れてしまう。

 あと少し、焦らさなければならない。この絶好のタイミングを利用しなければ、モブキャラのせいで取りこぼした『ざまぁ』の度合いを回収できない。


 だから彼女は、もったいぶる。


「……リョウマの気持ち、とっても嬉しいよ!」


 まずは軽くジャブを入れる。肯定の言葉に竜崎はどこか安堵したように頬を緩める。


 今の一言で、彼は勝ちを確信していた。

 ここで突き落とすのも悪くないが……まだだ、とメアリーは更に焦らす。


「これからもずっとリョウマと一緒なんて……まるで夢みたいな話だね!」


「いいや、夢じゃない。メアリーは、俺が幸せにする。だから、うん……どうか、よろしくな」


 もう竜崎はすっかりその気だった。

 メアリーの肩を抱こうと、歩み寄ってくる。


(ここだっ)


 彼女はほくそ笑む。

 我慢して、焦らして、もったいぶっただけあって、竜崎龍馬はいい具合にうぬぼれている。


 今がまさしく、タイミングだと思った。

 彼を『裏切る』のは、今しかないと思ったのである。

 だから彼女は、ついに……言ってしまった。






「――ごめんなさい」






 その回答に、竜崎龍馬は何もリアクションをしなかった。


「……ん?」


 まるで、何を言われたのか理解できないと言わんばかりに、首を傾げている。

 まさか振られるなんて思ってもいないのだろう。


 そうやってうぬぼれている彼に、もう一度繰り返してあげる。


「ごめんね、リョウマ? ワタシ、リョウマのことは好きだけど……もっともっと、好きな人ができちゃったんだよ!」


 しっかりと説明する。

 曲解の余地がない言葉を選択する。

 そうすればたちまちに、竜崎龍馬は――表情を失った。


「…………なんだ、それ」


 ひねり出された言葉には、一つの感情がにじんでいた。

 その絶望こそ、メアリーが望んでいたものだった。


(もっと、もっと、もっと……!)


 飢えていた。竜崎龍馬の不幸を、更に欲していた。

 まだ足りない。もっと、もっと、もっと、欲しい!


 竜崎龍馬の絶望を、むしり取るように。

 更なる言葉を、継ぎ足していく。


「リョウマ、ちょっと遅かったよ……ワタシ、本当にリョウマの事、好きだったのにっ。でも、今日の演劇で、もっと好きな人ができちゃったの。だから、ごめんね?」


「ま、待てよっ。そんなの、ウソだろ……冗談だろ!? もっと好きな人がいる? あ、ありえない……誰だよっ。そいつは誰だよ!! 俺より好きになった人なんているわけがないっ。だって、俺よりもメアリーに近づいた人間なんて――」


 と、何かを言いかけて。

 彼は思い出したように、目を大きくした。


「まさか、ウソだろ……? 『今日の演劇』で、好きな人ができた? おい、そんなわけないよな? よりにもよって、あいつなわけないよな? なぁ、メアリー……誰だよ。そいつはいったい、誰なんだよ!!」


 怒鳴るように詰め寄ってくる竜崎龍馬。

 取り乱した彼を眺めながら、彼女はハッキリと言ってやった。


「コウタロウを、好きになっちゃった」




 ――その一言で、終わった。




「…………っ!!!!」


 竜崎龍馬が、怒りの形相を浮かべる。

 獣のように息を荒くして、拳を強く握りしめていた。


「よりにもよって、あいつかよ……! また、あいつかよ! ふざけんなよ……ふざけんなよっ。邪魔するんじゃねぇよ、中山ぁ!!」


 きっと、中山幸太郎がその場にいたら、殴りかかっていたような。

 それくらいの怒りを見せた竜崎龍馬は、もうメアリーなんて見えていなかった。


「くそっ……くそ、くそ! くそぉおおおおおおおおおおおお!!」


 叫び、近くの机を蹴り飛ばす。

 そのままいくつかの机を薙ぎ払い、空き教室をメチャクチャにして、その場を逃げるように去っていく。


 その様を、メアリーは凝視するように見つめていた。


 ついに、この瞬間が訪れた。


 待ち望んでいた『バッドエンド』だった。

 何もかもが恵まれていたハーレム主人公様の転落劇に、彼女は笑う。


「これで、リョウマの物語は終わりだねぇ」


 呟き、いつもの一言で締めようとする。

 決め台詞を吐き捨てて、物語を作り終えた後の余韻に浸ろうとする。


「ざまぁみ――」


 でも、最後までその一言を言い切ることは、できなかった。


「……あれ?」


 ふと、気付いた。

 いつものスッキリとした感覚が、なかった。

 いや、それどころか……胸の部分に、小さな痛みがあった。


(なんだろう、これは?)


 きょとんとする。

 想定外の出来事に、困惑する。

 そうやって戸惑っていると……身を隠していたモブキャラが、出てきた。


「……おいおい、ウソだろ?」


 彼はメアリーを見て、目を丸くする。

 しかしその表情はすぐに緩み、たちまちに彼は――嗤いだした。


「アハッ……アハハ……アハハハハハ!!!」


 心底、楽しいと言わんばかりに。

 本来であればメアリーが浮かべるはずだった嘲笑を、モブキャラがやっている。


 理由が、分からなかった。

 何がそんなにおかしいのかと、彼女は彼を睨んだ。


「コウタロウ? 何が、言いたい?」


 問う。簡潔に答えてみろと、強く促す。

 そうしてようやく、彼は教えてくれた。


「傷ついてるだろ? 辛いだろ? 君は、竜崎の告白を断って、あいつを傷つけて……ショックを受けているだろ?」


 それは、メアリーにとっては最悪の結末。


「気付いてないなら、教えてやるよ。メアリーさん……君は、無意識のうちに竜崎のことを好きになっていたんだよ」


 まるで、ミイラ取りがミイラになるように。


「何がクリエイターだよ……所詮はテコ入れのサブキャラだ。結局君は、竜崎龍馬という主人公様に魅了されてしまったんだ」


 だから、カタルシスは訪れなかった。

 竜崎龍馬を好きになってしまったから、不幸になって傷ついた彼を見ても、スッキリできなかった。


 ざまぁみろ……なんて、言えなかった。

 だって彼女は、好きになってしまったから。


「君は、他のサブヒロインと同様に、竜崎龍馬を好きになったんだよ」


 その一言に、メアリーは唖然とした。

 ずっと、自分をクリエイターだと思っていた。神に近い存在と思っていた。


 でも、違う。


 彼女は結局、キャラクターだった。

 そのことを気付かされて、メアリーは呆然とすることしかできなかった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る