第百十一話 ウソで塗り固めて
化粧を施した俺の顔は、まるで自分ではないようだった。
でも、うーん……野獣役をするときのメイクをすると思っていたので、びっくりである。まずは魔法が解けた後の方をやるのか。
……いや、たぶん違うな。
キラリはただ、腕前を自慢したかったのだと思う。
俺に見せつけて、認められたかったのかもしれない。
「こーくんって、やっぱり顔立ちは悪くないかも?」
普段なら否定する一言だが、しかし今の姿を見てしまうと、首を横に触れなくなる。それくらいキラリの腕前はすごかった。
唇の血色がよく、頬も真っ白で、目元もくっきりしている。いつもはぺったりとした髪の毛も整髪剤でセットされていた。
中性的なイケメンっぽいと言えば、それに近いかもしれない。
「まぁ、こーくんは元々顔が薄いから、化粧映えするタイプだと思ってたんだよね~。にゃははっ、素敵でしょ? 化粧って人を変身させることのできる魔法のアイテムなんだよ~?」
俺が褒めたせいか、途端にキラリは饒舌になる。
よっぽど嬉しかったみたいだ。
「だからアタシは、毎日綺麗になりたくて努力してるっ。それが褒められると、マジで嬉しいかも……ありがと、こーくん♪」
なんで、感謝するんだろう。
俺が褒めただけなのに、どうしてわざわざお礼を言うのだろう。
まるで、もっと褒めてほしいと言わんばかりの態度に見えた。
俺に認められた程度のことを、こんなに喜ぶなんて……本当に、変わってしまったなぁ。
それがとても、悲しかった。
「……キラリは、今の俺が俺に見えるか?」
不意に、問いかける。
化粧をした俺は、はたしてキラリにどう見えるのか。
その答えは、もちろん一つだろう。
「え? う、うん……かっこよくなったけど、こーくんはこーくんじゃん?」
急な質問にキラリは戸惑っていたけど、何も言わずに答えてくれる。
俺の機嫌を悪くしないよう必死になる姿は、やっぱり見ていて辛かった。
「ああ、そうだよ。俺は俺だから、どんなに化粧をしてもそこは変わらない。別にこれはすごいことじゃない。当たり前のことで、ここが変わったらダメなんだ」
変えてはいけないものがある。
それは『自分の在り方』だ。なんだかんだ俺は、いつも俺として生きている。モブキャラみたいに退屈な人間だけど、竜崎みたいな主人公にはなろうとしていない。ましてや、自分を『主人公』だなんて、思い込んでもいない。
だってそれは『ウソ』だからだ。
だけどキラリは、仮初の姿を『本当』だと思い込んでいる。
まるで、メイクをした後の姿が、本物であると言わんばかりに。
化粧品と一緒に、彼女は自分をウソで塗り固めているのだ。
「うん、俺は俺だよな。じゃあ、キラリはどうだ? 一度だけ、聞かせてくれ。君はいったい、誰なんだ?」
今の彼女は、はたして自分が『自分』であることを、ハッキリと言えるのか――その答えは、ノーだった。
「……アタシは、あたし? え? そんなの、アタシで、あたしだから、アタシは、あたしは……!」
問いかけに、キラリは混乱していた。
中学生のキラリと、高校生のキラリ。どっちが本当の自分か、分からなくなっていた。
「自分を変えたいと思うことは、悪いことじゃないよ。でも、自分が何者であるか忘れるほど変えてしまったら、もう君が『浅倉キラリ』でいる理由がなくなるんだよ……そうやって、竜崎のために自分を変えてしまった結果が、今のキラリだ。自分が何者かも分からない、可哀想な少女に見えるよ」
――どおりで、お化粧がうまいわけだ。
偽りの自分を本当の自分と信じ込ませるほどの腕前なのだから、当然だ。
だけどそのせいで、キラリは自分を見失ってしまったのかもしれない。
これが、キラリの『弱さ』の原因だ。
メイクを覚えて、自分を変えて、挙句の果てには自分を見失った哀れな少女の末路だった。
「正直に言う。俺は、中学時代のキラリが好きだった」
恋愛感情かどうかは、ハッキリと言えないが。
ただ、好きか嫌いかで言えば、間違いなく好きに分類されていた。
それくらい浅倉キラリのことを、好ましく思っていた。
しかし、それは過去の話だ。
「でも、今のキラリは嫌いだ」
それだけを言って、席を立つ。
もう、彼女と話なんてできない。傷ついたキラリを、見ることができなかった。
別に、傷つけたかったわけじゃない。
こんな顔が見たかったわけじゃない。
いくら裏切られても、切り捨てられても、もともとは友達だったのだから。
「メイク、ありがとう。それと、明日もよろしくな……こんなこと言ってしまった後で、気まずいだろうけど。お互いに、やるべきことをやろう」
事務的にそう伝えて、空き教室を出て行こうとする。
しかし、そんな俺に……キラリはなおもすがりつこうとしていた。
「ま、待って! あの、怒ったの? ご、ごめんね? 何が悪かった? アタシ、頭が良くないから、こーくんの言ってることが分かんなくて……で、でも、アタシが悪いなら、直すからっ。だから、こーくん……アタシを、見捨てないでっ」
か細い声に、泣きそうになってしまう。
こんなキラリを見てしまって、心が痛くなる。
こんなの……もう、やめにしよう。
「あ、ほら! まだ野獣役のメイクしてないじゃん? それ、今からやるから座ってよっ。アタシ、がんばるから……こーくんも褒めてくれたでしょ? アタシ、メイク上手だからっ」
それでも気を引こうとするキラリに、俺は首を横に振った。
「ごめん。上手なのは分かったから、それは明日お願いするよ……なんか、疲れたんだ」
一方的にそう言って、早足に空き教室を出ていく。
キラリのことを思うと、胸が苦しい。
でも、ここで彼女を甘やかしてしまったら……今度はしほの気持ちを裏切ることになってしまう。
……きっと、しほがいなければ、俺はキラリを受け入れてしまったのだろう。元友達だからという理由で、彼女の弱さを背負いこもうとしたかもしれない。
だけど、良かった。
しほのおかげで、キラリをハッキリと拒絶することができた。
そうでなければ、俺もキラリも不幸な道を歩んだだろう。
だってあれは、俺を好きで気を引こうとしていたわけじゃない。
すがりつくものがなかったから、仕方なく『依存』しようとしているだけだった。
やがてそれは『共依存』へと変わり、お互いをどんどんボロボロにしていっただろう。
本当に、良かった、
しほのおかげで、そうなる未来を回避できたのだから――
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