第八十五話 薄っぺら

 俺の嘲笑で、メアリーさんはとても不機嫌になってしまった。


「はぁ……弱い犬ほど、よく吠えるというらしいよ?」


「わんわんわーん」


「あら、かわいい子犬さん、そろそろ黙って? ワタシ、今は少しご機嫌斜めだから」


「だったらそろそろ帰してほしいんだけど」


 別に好きでおしゃべりに付き合っているわけじゃないのに。


「車から降りたいのかい? ここは、街灯も民家もない山の奥だと言っても?」


「いや、その時は子犬ちゃんらしく、足を舐めてご機嫌をとるかな。それで家まで送ってもらう」


「……つまんない。リョウマみたいにもっといいリアクションできないの?」


「俺は主人公様じゃないからなぁ。モブキャラはせいぜい、メインキャラクターの言いなりになるしかないんだよ」


「あら? さっきはワタシのこと、サブヒロインと言ってたのに?」


「サブヒロインもメインのキャラクターだろ? サブキャラクターとは意味合いが違うから、別に変なことは言ってないと思うけど」


「……はぁ。そうやって物語に理解のあるモブキャラって、なんかめんどくさい」


 メアリーさんは大げさにため息をつく。

 それから手元のスイッチを押して、外の風景を遮っていた窓のフィルターを解除してくれた。


「あ、俺の家だ」


 そして見えたのは、見慣れた自宅だった。

 いつの間にか車も止まっていたらしい……あまりにも揺れが小さかったので分からなかった。さすがはお金持ちの車だなぁ。


「送ってくれてありがとう。山の中じゃなくて良かったよ」


「気分的には、どこかに置き去りにしたかったよ? コウタロウはワタシを不快にするのが上手だねぇ」


「それはどうも」


 なんだろう。この、上辺だけで会話している感じは、とても気色悪い。

 このまま会話を続けてもお互いに嫌な気持ちにしかならないので、俺はさっさと車を降りることにした。


「送迎、ありがとうございました」


 運転していたであろう初老の男性が扉を開けてくれたので、軽く頭を下げてお礼を伝える。彼は穏やかに微笑んで、ゆっくりと頭を下げて見送ってくれた。


「じぃ、早く帰って。ワタシ、疲れたのよ?」


「かしこまりました」


 メアリーさんはいかにもお嬢様っぽいことを言っている。

 去り際に振り返っても、もう彼女は俺を見ていなかった。じぃと呼ばれた男性が後部座席の扉を閉めて、運転席へと戻っていく。それからまた、リムジンは動き出す。


 しっかりと帰ったことを確認してから、俺は玄関の扉を開けた。


「……ただいま」


 発した声には、疲労の色がにじんでいる。

 メアリーさんと会話して、どうやら俺は疲れてしまったみたいだ。


 緊張が解けたおかげか、なんだか喉も乾いている気がする。飲み物を取りに台所へ向かうと、途中でリビングにいた梓が声をかけてきた。


「おにーちゃん、おかえり」


「あ、うん……ただいま」


 珍しいな。いつもは俺が帰ってきてもおかえりなんて言わないのに。

 スマホをいじりながらではあるが、意識は完全にこちらを向いていた。


「霜月さんのおうち、どうだった?」


「……気になるのか?」


 行くのは嫌がっていたのに、帰宅早々質問してくるなんて……梓も本当は行きたかったのかな?


「べ、別に、そんなわけじゃないけど……ただ、ごはんが美味しそうだったから」


 そう言って、彼女は持っていたスマホの画面を俺に見せてくる。

 なんだろう? 覗き込むと、そこにはしほの家でさっき食べた料理が映っていた。


「霜月さんが自慢してきたの……うぅ、こんなの見せられたら、後悔するに決まってるよっ。自称おねーちゃんなんか無視してごはんだけ食べに行けば良かった……」


 ああ、そういえば梓としほはお互いに連絡先を知っているんだっけ。

 二人は結構気が合うのだろう。頻繁にメッセージをやりとりしているようで、メッセージアプリには大量の履歴が並んでいるように見えた。


 なんだかんだ、二人は仲良しである。

 微笑ましい二人の関係性に、心が癒された。


 そのやり取りには、優しい感情が詰まっているような気がする

 俺とメアリーさんが繰り広げたような、薄っぺらい会話ではなかった。


(やっぱり、かわいいなぁ)


 さっき、歪んだ性格のひねくれ者と話していたせいだろうか。

 二人のことを考えていたら、汚れた心が浄化されていくような気がした――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る