第七十六話 それは、違う世界のラブコメ

「はじめまして、しぃの父親をやってる『いつき』と申します。幸太郎君、今日はあまり緊張しないで、気楽に過ごしてくれると嬉しいよ」


 ――年上の男性に、こんな表現を使うのは間違っていると思うのだが。


 なんとなく、かわいらしいおじさんだと思った。

 黒髪黒目の、容姿としては凡庸な男性である。ただ、ふくよかな体はとても柔らかそうで、俺が子供だったら絶対におなかをつついていたと思う。


 たとえるなら、風船だろうか。

 まるっこくて、ふわふわしていて、見ていてとても心が落ち着く。


 そんな人が、しほの父親みたいだ。


 年齢は……何歳くらいなのだろう?

 若くも見えるし、中年にも見えるけど、どっちとも取れるような気がする。

 さつきさんがかなり若々しいので、相対的に年上にも見える。結構、年の差は離れているような……うーん、よく分からなかった。


 まぁ、年齢なんてどうでもいいか。

 二人は愛し合って結婚している。年の差とか、そういうのは些細な問題だろう……だって、今とても幸せそうなのだから、外野が変なことを考えるのは無粋な気がした。


「しぃはまだ台所で作業してるから、幸太郎君は先にこっちにおいで? 男同士、少し話をしよう。あ、別に変な意味じゃないよ? 娘に手を出して――なんて言えるほど、おじさんは熱血じゃないんだ」


 ふくよかなお腹を揺らして、いつきさんは笑う。


「そうなのっ。幸太郎くん、聞いて? うちの旦那様は、あまり熱血じゃないの。でも、冷血なわけでもないからね? そこは勘違いしないでね?」


 そんな彼を見て、さつきさんはうっとりしていた。

 さっきまでの落ち着いた雰囲気はどこかに吹き飛んでいて、まるで憧れの王子様に出会った少女みたいな顔つきになっている。


「あ……もしかしてっ。いつきったら、幸太郎が来たから喜んでるんでしょ? 息子もほしがってたもんね~」


「もちろんっ。まぁ、幸太郎君が息子になるかどうかはまだ分からないんだから、本人にプレッシャーがかかることを言うのはやめてあげよう……すまないね、幸太郎君。今日は何も気にせず、気楽に過ごしてほしい」


 にこやかな笑顔に、体の力が抜けそうになった。

 さつきさんの前でかなり緊張していたせいか、ギャップで崩れ落ちそうになる。そのまま、いつきさんの対面にあるソファに座った。


「じゃあ、わたしはしぃちゃんの様子見てくるから、二人で雑談しててね?」


「分かった。ふぅ、これでやっと男同士の会話ができるよ」


「まぁっ。わたしのことはお邪魔虫なのね? ふーん……後で覚えててねっ」


 ……仲、いいなぁ。二人とも、お互いのことを大切に思っていることが、会話の端々から伝わってくる。


 夫婦として理想の在り方だった。

 この二人のことも、正直かなり気になる。


 さつきさんと、いつきさん……そういえば名前も似ているけど、何か理由はあるのだろうか。聞いたら教えてくれそうだけど、初対面だし、あまり踏み込むのはちょっと嫌だ。


 いつきさんは優しそうだから、嫌な顔もしないだろうけど。

 その優しさに甘えるのは、少し違う気がする。

 あくまで今回は初めての顔合わせなのだ……深い話は、また後日にやる機会があるだろう。


 今日はそんなことよりも、やらなければいけないことがある。

 それは――霜月夫妻に、俺のことを知ってもらうことだ。


 娘のしほと仲良くさせてもらっているのだから、当然だ。

 親としては、娘の友人がどんな人間か、気になっているはずだから。


「それで、幸太郎君は――」


 早速、いつきさんは俺のことを聞こうとしている。

 なるべく悪い印象は持たれたくないけど、嘘をついても意味はないので、正直に答えよう――そう考えて、身構えていた。


 しかし、いつきさんは……やっぱり、優しかった。


「幸太郎君は、どんな食べ物が好き?」


「…………へ?」


 聞かれて、拍子抜けした。

 趣味とか、成績とか、将来の夢、とか……そういうステータスめいた情報を聞かれると思っていたけど、いつきさんが知りたがっているのは、とりとめのないものだった。


「あ、食べ物は嫌いかな? ごめんね、おじさんは食べることが大好きだから、ついつい食べ物の話ばかりしちゃうんだ」


「い、いえ、嫌いではないです。えっと……卵焼きとか、美味しいと思います」


 思い出していたのは、お昼の時にしほから分けてもらう弁当の卵焼きだった。さつきさんお手製の料理はどれも美味しいけど、いつも入っている卵焼きがなんだかんだ一番美味しい気がする。


「お、気が合うなぁ。おじさんも卵焼きは好きだよ。あとは唐揚げと、カレーと、それからお肉と、お魚と、野菜と、炭水化物と、麺類だね」


「それ、全部では?」


「ああ、そうだよ。好き嫌いがないのが、おじさんのいいところなんだ」


 ……なんだろう。

 会話していて、とても力が抜ける。

 人の良さそうな笑顔と、優しいトーンの声と、丸っこいビジュアルのせいで、自然とリラックスしてしまうのだ。


「幸太郎君は、勉強は好きかい? うちの娘は大嫌いみたいだけど、あんまり頑張らなくてもいいんだよ? それよりも無理をする方が、体には悪いからね」


「幸太郎君は、ゲームとかは好きかな? うちの娘が大好きみたいで、おじさんも一緒にさせられるんだけど、どうも若い子の感性にはついていけなくてね……だから、最近は君が一緒に遊んでくれて、とても助かってるよ」


「幸太郎君は、暑いのは好き? おじさんはこの見た目だから大嫌いなんだ。いつも脂肪を着てるから、夏は暑苦しくて仕方ないよ。そろそろ秋だから、やっとおじさんの季節になってきたね」


 ――いつきさんとの会話は、どれもこんな感じだった。

 この人は、俺の身分や立場、ステータスにはあまり興味を持っていないらしい。


 彼が知りたがっているのは……俺という『人間性』だった。

 特に『何が好きか』に興味を抱いている。おかげで、強制的に好きなことばかり考えさせられるので、自然と気持ちが明るくなった。


 ……本当に、不思議な人だ。

 一緒にいて心地良くて、気持ち良い。親しみやすいとか、そういう次元を超えている。


 とにかく優しい。

 とにかく、暖かい


 そういう人間だからこそ……さつきさんというメインヒロインを愛せたのだろうと、納得できるくらいには包容力のある人だった。


 きっと、そのラブコメは普通という枠には収まらなかったはずだ。


 さつきさんは、それほどまでにメインヒロインとして苛烈である。俺はもちろん、あの竜崎でも、さつきさんのラブコメには介入できないくらいに、キャラクターとして完成されている。


 そんな彼女を愛し、幸せにした男性が、いつきさんなのだ。


 いったい、どんな人間なのだろう?

 ただ優しいだけじゃなくて、もっと素敵なところがあると思う。


 それも、知りたかった。


 いつか、俺も……胸を張ってメインヒロインのあの子を『好き』と思えるようになったなら、参考にさせてもらいたいなぁ――


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