第七十五話 ポンコツしほちゃんがメインヒロインになれた理由

 銀色の髪の毛がふわりと揺れる。歩くたびに跳ねる髪の毛がとても綺麗だった。


 しほと比較すると、少し銀が濃いだろうか。

 長い髪の毛に軽くウェーブをかけている髪形は、よく似合っていた。まるでモデルさんみたいだけど……ただ、くまさんマークのエプロンを着ていたので、それが派手な印象を弱めてくれていた。


 それにしても……とても若々しく見える。高校生と言われても違和感がないほどだ。

 今、目の前にいる人は、女性として本当に魅力的だと思う。


 家に招き入れてもらって、リビングへと案内される数秒間。

 たったそれだけの時間、後ろ姿を眺めただけで……普通の人間なら、まともな感情ではいられくなるくらいの、美人さんだった。


 それほどまでの魅力に、思わず背筋が寒くなる

 この人は本当に人間なのだろうか――と、疑いたくなるほどに、しほの母親は人間離れしていた。


 名前は、さつきさんと言うらしい。日本人らしくない見た目なのに、名前が和風なのが不思議だ。


「……んー? そんなに見つめて、どうかしたの?」


 あまりにも凝視しすぎたせいだろうか。

 視線が気になったようで、彼女は足を止めて振り返った。


 蒼い瞳に見つめられて、体が強張る。

 西洋人形を連想させる完成された美に、思わず逃げ出したくなった。


「い、いえ、なんでもないです……」


 目をそらして、一歩後ずさる。

 無意識に距離を取ろうとしてしまった。

 そんな俺を見て、しほの母親――さつきさんは、少し驚いたみたいに目を丸くした。


「おやおや? ふむふむ、なるほどなるほど……さすがわたしの娘だなぁ。面白い人間を連れてきたみたいね」


 彼女の眼に、俺はどんな映り方をしたのだろうか。

 さつきさんは興味深そうな表情を浮かべて、俺の肩を優しく叩いた。


「幸太郎は、わたしのことが苦手なのかな? そんなに警戒されたら悲しいなぁ」


「い、いや、そういうわけじゃないんですが……っ」


 苦手というわけじゃない。

 もちろん嫌いなんてありえない。


 だけど、なんというか……畏れ多い。俺なんかがこの人に話しかけてもらうなんて、本当に許されるのかどうか、疑ってしまうのだ。


「なるほど。幸太郎はわたしのことが嫌いじゃなくて、自分のことが嫌いなのね?」


「――っ」


 不意の一言に、心臓が跳ねる。

 図星だった。明らかに確信を突かれたので、言葉を失ってしまったのだ。


 確かに俺は自己肯定感が低い。

 こんな俺なんかが――という枕詞を常に入れてしまうせいで、とにかく卑屈になってしまう。


 それを、さつきさんは初対面で看破したのだ。


「……なんで、分かったんですか?」


「匂い、かなぁ? わたし、生まれつき匂いに敏感なの。だから、なんとなく相手の感情?みたいなものが、匂いに出ているというか……ごめんね、変なこと言っちゃって」


 ……いや、分かる。

 なんとなく、さつきさんが言いたいことは理解できた。


 しほも『私は耳がいい』とよく口にしている。

 たぶん、その異常な感覚は、母親譲りなのだろう。


 かつて竜崎のことを『嫌な音がするから苦手』と表現したこともあったくらいだ。それと同じように、さつきさんも匂いで相手の印象が分かるのかもしれない。


「大抵の人間はね、わたしを見たらちょっとおかしな匂いを放つから……それがあなたにはないから、びっくりしちゃった」


 ……ああ、そういうことか。

 さっき、びっくりしたような顔をしていたから、何事かと思ったけど……別に大した理由ではなかったみたいで、安心した。


 つまり、さつきさんはあまりにも美人すぎるのだ。

 これは予想にしかならないのだが……たぶん、普通の人間がさつきさんを見たら、まず一番に感情が刺激されるだろう。


 男性であれば、下心が。

 女性であれば、嫉妬心が。


 それくらいこの人は常軌を逸している。

 だが、俺は持ち前の卑屈さと、元モブキャラという性質のせいか、下心を持てるほどの性癖がなかった。


 だから、欲情するわけでもなく、嫉妬して嫌悪するわけでもなく、ただただその存在感に圧倒されただけに終わったのだ。


 まぁ、ただ無個性なだけなので、俺がすごい人間というわけじゃないのだが。


「幸太郎からは、無欲の人間の匂いがする……素敵な人間の匂いだから、もっと自信を持ってもいいのに」


 でも、そんな俺をさつきさんは評価してくれた。


「さすが、しぃちゃんが気に入った男の子だなぁ……うちの旦那様も素敵な匂いだけど、それとは違った魅力があるかも」


 そう言って、今度はあどけない笑顔を見せてくれた。


「――――ぁ」


 まずい。なんか、場違いな気がして冷や汗がにじんできた。

 やっぱり俺のような人間がさつきさんと話すなんて恐れ多い。

 ましてや笑顔を向けられるなんて――そんなの、あってはならないような気がした。


 もし、こんな人が一緒の学校にいたら……そう考えただけで、ぞっとする。きっと、今まで多くの男子が恋心を抱き、玉砕してきたことだろう。


(しほの常人離れした魅力は、この人譲りなのか)


 あのハーレム気質の主人公様を狂わした美貌と魔性の魅力は、いったいどうやって生まれたのか――その理由がようやく分かった。


 さつきさんの血が、あのポンコツなしほをメインヒロインにしているのだ。

 よくよく考えてみると、しほはメインヒロインにしては少し……いや、かなりポンコツすぎる。


 勉強、運動、家事、会話、などなど……しほはメインヒロインにしては苦手ジャンルが多すぎるのだ。

 普通で考えれば、サブヒロインの色物枠がせいぜいだろう。それを、さつきさんの血が彼女をメインヒロインに押し上げている。


 だがしかし――そこで、一つの疑問が頭に浮かんだ。


(だったらどうして、しほはあんなに親しみやすいんだ???)


 さつきさんには申し訳ないのだが……彼女はあまりにも綺麗すぎるので、目の前に立っているのだけで、自分の汚さが浮き彫りになるような感覚に陥ってしまう。


 なので、決して親しみやすいとは言い難い人なのだ。

 もちろん、親しみにくいと言うわけではない。雰囲気は柔らかいし、冷たい印象もまったくない。だが、俺は少し委縮してしまうのだ。


 だというのに、しほは初対面の時からあまり緊張しなかった。

 なんというか……しほは、普通のヒロインとしても少しおかしいのである。





 彼女は『特別』なのだ。





 それがどうしてなのか、考えても理由が分からなかったのだが……直後に、リビングに顔を出すと、すべてが解決した。


「はい、どうぞ。うちのリビングです……それと、わたしの旦那様ですっ♪」


 途端に、さつきさんの声が上ずる。さっきまでは落ち着いていたのに、リビングの扉を開けた途端、テンションが上がっていた。


 それは恐らく――ソファに座っている、ふくよかな男性が理由だろう。


「……おや? もう来てたのかい? ようこそ……幸太郎君だよね? うちの娘が、いつもお世話になってます」


 コロコロと丸っこいその人を見て、俺は呆気に取られてしまった。


(この人だ……この人が、しほが『特別』になれた理由だ!)


 ――優しい。

 ――温かい。

 ――柔らかい。

 ――安心する。

 ――落ち着く。


 表情が、声が、視線が、仕草が、体型が、雰囲気が……すべてが、とにかく優しかった。


 絶対に、この人が原因だ。

 しほがあんなに親しみやすいのは、あの人の影響だ。


 こんな人、見たことない。

 そばにいるだけで、自然と頬が緩むような……そんな温かさを、感じたのである――

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