第七十四話 霜月家
……どうやら、悪役の登場はまだまだまだ先みたいだ。
竜崎のラブコメは、俺の知らないところで進行している。
たぶん、今はメアリーさんの紹介パートなのだろう。彼女がどんな人物で、どうやって竜崎を愛しているのかが、エピソードになっているのかもしれない。
はたして今回の物語はどう転がるのか、まだまだ予想はつかないけれど。
とりあえず、出番がないのなら、あいつのことなんて考えずにゆっくりと休もう。
今は、しほと俺のラブコメを進める時間なのかもしれない。
……もし、俺の物語を読んでいる人がいるとするならば。
相変らず亀みたいに遅い進行スピードだし、山も谷もなく平坦なストーリーが続いている駄作を、どうか許してほしい――
「幸太郎くんっ。今日、うちに来ない?」
放課後のことだった。
いつものように、バス停までしほと一緒に帰っていたら、不意に彼女がそんな提案をしてきたのである。
「実はね、パパが柔道の大会で優勝したから、ママがごちそうを作ってるの。三人だと食べきれない量だから、幸太郎くんも手伝ってくれると嬉しいわっ。どうかしら? いつもそっちのおうちで遊ばせてもらっているし、たまには恩返しさせてくれる?」
……その聞き方は、ずるい。
そんなに無邪気な笑顔を向けられると、断ることなんてできなかった。
梓にもよく言われるのだが……俺は基本的にしほのことになると甘くなってしまう。
この子になら何をされてもいいと許してしまう傾向があった。
……本当は、ちょっと怖い。しほは間違いなく溺愛されているので、娘に手を出した男として、悪く思われる可能性もある。
彼女の家族に拒絶されたくない。できれば、もうちょっと時間がほしい。
だけど、このチャンスを逃すのも、もったいない気がしている。しほがどんなご両親に育てられたのか、興味があったのだ。
こんなに素敵な女の子の親は、どんな人間なのだろう?
それが気になってもいたので――俺は結局、彼女の申し出を受けることにしたのである。
「本当!? 来てくれるなんて、嬉しいわ♪ 本当はもっと早くに招待したかったのだけれど、幸太郎くんって自己否定の塊みたいなめんどくさい人だから、素直に来てくれないって思ってたの。だから、ようやく招待できて良かった!」
……ま、まぁ、俺がめんどくさい人間なのは、さておき。
「じゃあ、夕方ぐらいに来てねっ。それと、あずにゃんもちゃんと誘うのよ? あの子、おねーちゃんに甘えたいみたいだから、仕方ないけれどかまってあげなくちゃいけないわ」
「分かった。梓も誘っていくよ」
そんな会話を交わしてから、一旦家に戻る。
帰宅するとすでに梓はリビングでお菓子を食べていたので、すぐにしほの家に招待されたことを伝えたのだが。
「……いやっ。梓、おねーちゃんなんて要らないもん! 霜月さんには『うんち!』って伝えといてね?」
しほにものすごく拒絶反応を起こしていた。
うんちって……小学生じゃないんだからさぁ。
うーん、まぁいいや。
梓は最近引きこもりになったし、外に出たくないのだろう。
そういうわけなので、今回は置いていくことにした。
仕方なく一人でしほの家へと向かう。彼女の家は一度行ったことがあるので分かる。初めて会った時に家まで送ってあげたのだ。もちろん中には入っていないのだが。
そういえば、彼女の家を見るのもあれ以来か。
「……ふぅ」
時刻は18時を過ぎたくらいだ。到着したので、一度深呼吸をしてから、インターフォンを鳴らす。
するとすぐに、玄関が開いた。
「はいはーい、こんばんはっ」
そして、現れたのは――銀髪の美女だった。
「……っ」
思わず息を飲む。
一目見て、分かった。
この人がしほの母親だ……彼女と同じように、容姿が常人離れしている。
「あなたがしぃちゃんの言っていた幸太郎くんかな?」
しほの母親は、緊張している俺に優しく声をかけてくれる。
それから、小さく微笑んでくれた。
「はじめまして、霜月さつきです。しぃちゃんの母親をやってます……ほら、どうぞ上がって? しぃちゃんが中で待ってるよ?」
「…………」
そう言われても、俺はしばらく何も言うことができなかった。
男なら、目を奪われずにはいられない。
俺とはまるで違う存在感に、思わず委縮した。
生まれながらのモブキャラだからこそ分かる。
この人はかつて、メインヒロインだった人だ――と。
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