第七十三話 シリアスてなぁに? シリアルなら好きよ?

 かくして、ハーレムメンバーから一人の女の子が離脱した。

 竜崎龍馬のラブコメにおける、一番最初のリタイアとなるだろうか。


「…………」


 梓は、窓際の一番後ろ――いわゆる主人公席に座って、落ち込んだように俯いている。

 さっきはがんばってキラリに言い返していたが、もう疲れてしまったのだろう。


 お疲れ様……梓はよく頑張ったよ。

 心からそう思う。できることなら、声をかけて労ってあげたい。でも、ここで俺が梓に話しかけては、竜崎に意識を向けられてしまう。


 宿泊学習の一件以来、あいつは俺に話しかけることこそないが、露骨に意識するようになっていた。ふと気づくと睨んでいるので、正直なところ居心地が悪い。


 今、梓が最も見られたくないのは、竜崎本人だろう。

 だから俺は少し離れた場所から見守ることしかできなかった。


「なぁ、キラリ……梓と何を話してたんだ?」


「なんでもない。りゅーくんには関係ないことだからっ」


「あらら……コケシちゃんともっと遊びたかったのになぁ」


「なによ。あたしじゃ不満なわけ?」


 ……まぁ、竜崎御一行も少し荒れているので、梓はたぶん大丈夫だろう。

 そう考えて、俺は席に戻る。


 しかし、落ちこんでいる梓がやっぱり気になって仕方なかった。

 ちょうど、そんな時だった。


「っ……!お、おは、おはっ」


 不意に、肩がトントンと叩かれた。振り向くと、そこには遅刻ギリギリで登校してきた、しほがいた。


 ……たぶん、久しぶりの学校だから、クラスメイトの視線が気になって仕方ないのだろう。挙動不審な彼女は、まともに言葉を話せていない。


 相変らず人見知りのポンコツ少女だった。

 俺の家ではあんなに調子に乗っていたのに、すごいギャップだなぁ。


「ね、ねぼ、しなっ」


 ふむふむ、なるほど。


『寝坊しなかったから、すごいでしょ?』


 翻訳してみると、たぶんこんな感じになるだろうか。


「……よく起きれたな。しほはすごく偉いっ」


 褒めてほしそうだったので称賛の言葉を送ると、たちまちに彼女は上機嫌になった。


「うふふっ♪」


 口に手を当てて上品に微笑んで、彼女は席に座る。

 廊下側の隅っこは、もう彼女の定位置になりつつある。


 どうもしほは鈴木先生に席替えのくじ作成を評価されたみたいで、今も継続していた。それ以来、彼女は不正に手を染めまくっている。六月からずっと同じ席なのも、ずっと俺と隣同士なのも、竜崎と離れた席にいることも、強運ではなくしほの悪巧みの結果だ。

 そのしたたかなところも彼女の魅力である。相変わらずしほはかわいいなぁ。


「……あっ」


 少し俺と話して……いや、話したわけではないけど、コミュニケーションを取ったからか、しほのぎこちなさは幾分か楽になったらしい。俺の耳元でなら、まともに言葉を話せるようになっていた。


「おねーちゃんだから、妹に挨拶してくるわっ」


 湿った吐息と一緒に言葉を発した後、しほは席を立って梓のもとへと向かう。


「ふぎゅっ」


 あ、転んだ。今度は涙目になりながら俺を見る。いや、見られてもどうしようもないよ……な、なんかするべきなのだろうか。とりあえずがんばれと握りこぶしを作ってエールを送ったら、しほは小さく頷いて、再び立ち上がった。なんだか初めて歩く幼児を応援するような気分になってしまった。


 ――やっぱりしほは、特別な子だなぁ。


 彼女を見ていると、つくづくそう思う。

 だって、さっきまでシリアスな空気が蔓延していたというのに、彼女が来てからはコミカルな風が流れ込んできていた。


 暗かった空が、いつのまにか明るくなっているような。

 そんな、朝焼けのような眩しさを、しほからは感じる。


 そしてそれは、冷たかった梓の心さえも、温めてくれたみたいだ。


「ちょっ、なに? いきなり耳打ちなんて……え? おはよう? それだけ? べ、別に他のお話がしたいわけじゃないけど……ちがうっ。別におねーちゃんに甘えたいとかそういうのじゃないもんっ! ってか、霜月さんはおねーちゃんじゃないんだからね!」


 落ち込んでいた梓が元気に声を上げる。

 顔つきはどこか嫌そうだったが……さっきまでの落ち込んだ表情よりは、とても明るかった。


 俺には分かる。梓は今、しほのおかげでとても救われた気分になっているだろう。


 かつて、俺はずっと鬱屈していた。モブキャラの自分を嫌悪していて、俯いてばかりだった。


 そんなときに、しほがそばにいてくれた。たくさん話しかけてくれて、元気を分けてくれた。


 もう数か月前の話だけれど……あの時の感情は、今も忘れていない。

 しほはシリアスな気分を壊してくれる。彼女と話したら、いつのまにか心が前向きになっているのだ。


 だから、梓もきっと大丈夫だろう。


(しほ……ありがとう)


 心の中で、感謝の言葉を送る。

 梓を元気づけてくれたおかげで、俺の気分もスッキリした。


 どうしてあんなに、いい子なのだろう?

 まともな育ち方でこんなに愛らしい人間に成長するわけがない。


 霜月しほの魅力は、いったいどこからきているのか。

 それも少し、気になった――


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