第六十話 私だけの主人公

 なんとも言い難い空気の中、余興のプログラムが全て終了した。

 結局、竜崎の告白の後はとても気まずい空気が流れたせいで、誰も舞台に出てくることはなく……そのまま、自由時間となった。


 時刻は21時。22時には各部屋で点呼があるので、その時までには戻らなくてはいけない。


 部屋に帰ったら竜崎と顔を合わせると思うと気が滅入るのだが、ともあれ今だけはあいつのことなんて考えないようにしておこう。


 もう竜崎龍馬の物語は終わった。

 ハーレム主人公様に振り回される日々は幕を閉じたのだ。


「はぁ……なんだか、疲れたわっ」


 俺は今、霜月の隣にいた。

 彼女は相変らず人の気配がない場所を探すのが上手い。ついてきてと言われたので大人しく従ったら、いつの間にか二人きりになっていた。


 恐らくは、物置だろうか。周囲には倉庫らしきプレハブがいくつか設置されている。そんな場所で、霜月は静かに息をついていた。


「まさかこんなことになるなんて思いもしなかったわ……ただ、中山君とキャンプファイヤーを眺めながらおしゃべりしたかっただけなのに、どうして変なことに巻き込まれちゃったのかしらっ」


 月明りに照らされる彼女は、赤くなった顔を隠すように両手で顔を塞いでいた。


「うぅ……ねぇ、今の私ってブサイクじゃないかしら? 泣きすぎちゃって目と鼻がおかしい気がするのっ。こんな顔、中山君に見られるなんて恥ずかしいわ。できれば、目をつぶってほしいのだけれど」


「……変じゃないよ。霜月は、いつもかわいいから」


 気が抜けているせいか、普段よりも口が軽い。

 普段はあまり言わないようにしている『かわいい』という言葉を、つい口に出してしまう。


「んにゅ……だ、ダメよ、そんなこと言ったらっ。今度はほっぺたが真っ赤になってしまうわ……ゆでだこさんみたいにまっかっかになっちゃうじゃないっ。中山君は、本当は意地悪なのかしら?」


 そんなことを言ってはいるが、満更でもなかったようだ。嬉しそうに頬を緩めていた。


「ううん、嘘。中山君はとっても優しいわ……意地悪なんて、ありえない。だって、私を助けてくれたものっ。本当に、ありがとうね?」


 そう言って、霜月はすりよってくる。

 甘えるように体をこすりつけてきた彼女は、いつも以上に距離感が近い。肌と肌が触れあい、少し熱い体温が、俺の心臓を刺激する。鼓動が激しいのは、きっとこの子の魅力のせいだ。


「あの時、頭が真っ白だったの……何をすればいいのか分からなくなって、体が思うように動かなくなった。私、あまり人前に出ることが得意じゃないから……みんなの視線が、怖かった。色んな音が頭の中で響いていて、パニックになりそうだった」


 だから霜月は何も言えなかった。

 竜崎に告白されても、自分の意思をしっかりと伝えることができなかった。

 それくらい彼女は、あの状況が苦しかったのだろう。

 通常よりもはるかに音に敏感な彼女は、もしかしたら他人の音を拾いやすいのかもしれない。だから、俺みたいな普通の人間よりも『他人』の気配を強く感じてしまうのだろうか。


 だとするなら、見世物状態になっていたあの時、霜月は本当に苦しんでいたのだろう。


「でも、中山君の声が聞こえて、一気に怖くなくなったわっ。あなたが隣にいてくれたから……怖いものが、怖くなくなったのっ。だから、中山君は私の恩人よ? 助けてくれて、ありがとうっ」


 心からの笑顔が、俺に向けられる。

 モブキャラでしかなかったこんな人間に、霜月は特別な表情を見せてくれる。


 いや、この子は俺のことをモブキャラとは思っていないのだ。






「中山君は、私だけの主人公(ヒーロー)だわっ」






 ――かつて、誰にも愛されずに、裏切られ続けた少年がいた。

 全てを失い、自身をモブキャラだと思い込み、ただただ流れに身を任せるだけの退屈な人間は……とある少女と出会って、人生が変わった。


(これが……幸せ、なのかな)


 温かくて、優しい感情が、心を満たす。

 思わず泣きそうになってしまいそうなほど、霜月の言葉が嬉しすぎて……目頭を押さえた。


 ありがとうは、こっちのセリフだ。


 俺なんかを、認めてくれてありがとう。

 俺なんかを、選んでくれてありがとう。

 俺なんかを、主人公にしてくれて……ありがとう。


 本当に、ありがとう――

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