第六十一話 中山幸太郎のラブコメ
「霜月……っ!」
初めての感情だった。
幸福に満たされた俺は、感極まって思わず霜月を抱きしめてしまった。
「きゃっ。ちょっと、いきなりはダメよ……ドキドキしすぎて倒れちゃったらどうするの? もう、中山君は仕方ない人なんだから……うへへ」
言葉では否定しているが、霜月は嬉しそうだ。
ダメと言いつつ、逆に彼女の方がしがみついているから、離れようとしても離れられなかった。
「「…………」」
しばらく、無言で抱きしめ合う。
そして、先に沈黙を破ったのは、彼女の方だった。
「ねぇ、中山君? あのね……私、やっぱり中山君のこと、好きよ?」
いきなりの言葉は、なんと『告白』だった。
「霜月、俺も――」
すぐに俺も返答しようとした。
自分の気持ちを、しっかり伝えようとした。
だけど彼女が、それを許してはくれなかった。
「本当に? 中山君、あなたの答えは、本当に心から思っていること? ねぇ、中山君……あなたは、他人を好きになるって、どういうことか理解しているの?」
――その発言に、言葉がつまる。
霜月の問いかけに対して、俺は……もう一度、自分のことをよく考えてみた。
彼女のことは、好きだ。それは、嘘偽りのない気持ちだ。
でも、霜月の言う『好き』と、俺の思う『好き』は、本当に一緒なのだろうか――と。
「中山君って、自分のこと嫌いでしょう? 自分に自信がないように見えるわ。だから、あなたは自分を愛していない。そんな状態で、他人を好きになれるのかしら? 私のこと……本当に、好きになってくれているの?」
……ああ、そうだ。
確かに俺は自分が嫌いだ。
こんな自分を愛してなんていない。
そんな状態で言う『好き』という言葉に、はたして価値はあるのだろうか。
俺の言葉に、重みはあるのだろうか。
「私はね、中山君が思っている以上にあなたのことが大好きなのよ? 適当な『好き』という言葉に、満足なんてしないわ」
――そうか。
ようやく、霜月が言いたいことに気付いた。
彼女の思いは、俺の想像をはるかに上回っている。
だから、霜月はもっと『自分の気持ち』を大切にしてほしいと、そう言っているように聞こえた。
「好きになってくれたから、好きになる――なんて、妥協されたみたいで物足りないわ。もっと、私のことを知ってほしい。もっと、私の気持ちを理解してほしい。それでね、もっと……私のことを、好きになってほしいわ」
受動的な『好き』ではなくて。
能動的な『好き』を霜月しほという女の子を求めているのだ。
「だから、待ってあげる。中山君が、自分をしっかりと好きになるまで……私のこと、もっと愛せるようになるまで、そばで見守ってあげるわっ。だから、告白の返事は、まだ要らないの」
それから、霜月は背伸びをした。
俺の首に手を回して、今度はほっぺたに軽く唇を触れさせる。
「こんなに、人を好きになったのは初めてだわ。だから、できるなら……中山君も、私と同じくらい、私のことを好きになってねっ」
――ああ、そうか。
ようやく、分かった。
今までモブキャラだった俺は……霜月しほだけの主人公になった。
つまり、物語はまだ始まってなかったのだ。
これまでの話は、ただの前日譚でしかなく。
ここから、俺と霜月のラブコメは、ようやく始まるのだろう。
「うん、そうだな……もっともっと、好きになるよ。約束する……霜月――じゃなくてっ」
だとするなら。
もう、他人行儀な呼び方は、もう終わりだ。
「――しほ。これから、よろしくな」
初めて、彼女の名前を呼んで、もう一度抱きしめる。
別に、過激な行動ではない。普通で考えるなら軽い愛情表現でしかないけれど……たったこれだけでも、彼女にとっては飛び跳ねるくらい、嬉しかったらしい。
「うふふっ……ようやく、呼んでくれたっ。私、意地になってたんだからねっ。いつか、絶対にあなたから名前を呼んでもらうって決意してたから、ずっと『中山君』なんて寂しい呼び方をしてたのよ? でも、もう我慢しなくていいのねっ」
嬉しそうに笑って、彼女は改めて俺を抱きしめた。
「幸太郎っ。私のこと、どうか……よろしくね?」
――こうして、中山幸太郎というモブキャラの物語は幕を閉じた。
そして今度は『ラブコメ』が始まる。
霜月しほだけの主人公としての物語が、幕を開けたのである――
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